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こんぱすコーチの全方位日記

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2014年06月05日
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カテゴリ:車・道路
「もはや戦後ではない」という有名なフレーズ。
これは昭和31年の経済白書に綴られた言葉だそうで、
日本の高度経済成長の原点とも言われています。

僕はその昭和30年代の終わりに生まれていますので、
少年期・青年期を通じて、この高度経済成長期を
過ごしてきたことになります。

今となっては40年以上も昔の話なので、
ほとんど記憶があいまいなのですが、
中には、今となっては当たり前の風景が、
当時はまったく違っていたとか、当時では考えられなかったとか、
いろいろとあります。


その1つに道路地図があります。

今でこそ高速道路が列島を縦横無尽に走っていますが、
当時はまだほとんど開通しておらず、
全線開通済みの高速道路は、
せいぜい東名高速と名神高速ぐらいでした。

なので道路地図は、国道を表す赤い線、
主要地方道を表す緑の線ばかりが
目立っていました。

で、その線のいたる箇所で
薄い赤、薄い緑で塗られている区間があるんですね。

地図の凡例(記号の説明)を見ると、
「未舗装区間」とあります。

そう、昭和40年代当時は、
一級国道であっても、舗装されていない区間がふつうにあったんです。
ましてや主要地方道に至っては、山奥に行けば行くほど、
未舗装区間が長きにわたって続いていました。

当時は、とにかく半完成でも良いので
1本でも多くの道路を作ることが至上命題だったんでしょうね。
道路さえ開通させてしまえば、
未舗装であっても何とかなるだろう、と。
それだけ、全国的に道路の数が
物流網の発達に追いついていなかった、ということです。

実際、父親の郷里である丹後の宮津へ行く際も、
そういう区間が少なからずあって、
車内は上下左右に揺れまくり、大変でした。
今は、その郷里の家のすぐそばまで高速道路が開通しており、
隔世の感があります。


昭和50年代に入ってからは
住宅地の小さな路地ですら舗装されるようになり、
今ではむしろ未舗装の道路のほうが珍しくなりました。

当然、道路地図からも薄赤や薄緑の線が無くなって久しく、
当時の地図を懐かしく思い出します。






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最終更新日  2014年06月06日 00時53分57秒
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