1988年にタイムスリップ
週刊プロ野球セパ誕生60年の今週号Vol.25はついに1988年特集を迎えた。当初、近鉄に関係の深い出来事があった年の号だけを買えばええかと思っていたが、1年ごとにプロ野球を振り返れる貴重な分冊百科、手元に残しておく価値があると思って毎週買い続け、今号で25冊目、ようやく半分になった。パリーグ史上でも極めて激動の1年といえる1988年。南海がダイエーに身売りし福岡に移転が決定、近鉄がシーズン終盤に西武を追いこんで優勝の可能性を残す最終のダブルヘッダーを戦うその日に、阪急が突然オリエントリースに球団譲渡を発表。関西人として慣れ親しんだ老舗球団の南海と阪急が相次いで消えてしまう衝撃は今も忘れられない。それから16年経つと自分の愛するチームも無くなっているという、これ以上ない衝撃を体験する事になるが。その近鉄バファローズの10・19。特集記事やデータファイルを改めて読むと、10月19日を迎えるまで近鉄は駄菓子屋球団に8連勝、上お得意様にしていた。前日の10・18も12-2で大勝しているし、最後の最後も負けていない。ブライアントがホームランを打った時はもうこれで優勝だろうと確信したが・・・。有藤の執拗な抗議と4時間の壁に阻まれて11回の攻撃が出来なかったのは、21年経っても腹立たしく悔しい幕切れ。2厘差で西武に優勝をもっていかれてしまった。データファイルを見たら21年前の昨日の9月29日も川崎球場でロッテ対近鉄戦が行われているではないか。11対3で近鉄はこの日も駄菓子屋球団に大勝していた。21年後の9月29日の川崎球場。アメフトのXリーグのリーグ戦の日程の谷間で、人っ子一人いない静かなグラウンド。21年前の駄菓子屋対近鉄戦もまだ9月29日の時点なので閑散としていたかもしれないが(笑)。すっかりアメフトの競技場になってしまった姿は何度訪れても物悲しい気持ちになる。ついにダッグアウトが無くなった時は本当に悲しかった。それでも当時のグラウンドの形がほぼ残っているのは、藤井寺球場、大阪球場、西宮球場と比べれば幸せな事だ。外野フェンスの金網なんて昔のまま、錆び放題、10・19の試合を照らしていた照明搭もまだある。往時の川崎球場を偲ばせる貴重な遺産、どうかこれからもそのままでいてほしい。週刊プロ野球の来週号は近鉄優勝の1989年、その次の週の27号は野茂デビューの1990年と、近鉄にとっては忘れられない年の特集が続く。当時にタイムスリップさせてもらおう。