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大津波が、3回くらい襲ってきました。 その度グラグラ揺れて、ガタガタ壊れていく自分。 キッカケは日曜の夜。 ふと時間ができて、ずっと観たかったテレビ番組のDVDをレンタル。 「プロフェッショナル・仕事の流儀」をまとめて観ることに。 4本借りたんだけど、結局その日は1本目で止まってしまいました。 身動きできないほど、大きな衝撃に襲われて。 漫画「ドラゴン桜」のモデルとなった実在の英語講師・竹岡広信さん。 自らの塾を京都に構えながら各地の予備校を飛び回っている超人気講師。 彼の仕事と哲学に触れて、自分を照らし合わせてみて、崩れました。 人を教えるプロとして彼が最も大切にしていることを聞かれ、 彼は“ごまかさないこと”だと答えました。 それを聞いた瞬間、僕の中の甘い部分が全部崩れて、涙が止まらなかった。 彼は生徒からの質問を受け、その場で答えられないと思うと、 授業を中断して自宅から参考書を持ち出し、説明するのだそうです。 自分が全てを知らないってことを素直にさらけ出し、 等身大の自分のままでぶつかっていく。 その潔さ、勇気が、僕には欠けている。 彼と僕との差は、キャリアとか、経験だけじゃなくて、 もっと根本的なところで、人としての器の差を痛いほど感じました。 茂木健一郎さんの「意識とはなにか」を読んでいて、僕らの脳の不思議な機能を発見。 僕らの脳は ある物事を深く考えて悩むことも出来る一方で それが分かったふりをして過ごすことも出来る。 この“ふりをする”能力というのが、人間の脳のユニークなところなんだそうです。 考えてみると、僕がいかに物事を分かったふりで済まし、根本を探ることをしてこなかったかを痛感。 それを思うと、次々と浮かんでくる疑問。 “教える”ということを仕事にしている僕。 果たしてその僕は自分が教えていることを本当に分かっているのだろうか。 実は分かった“ふり”で教えてるんじゃないか。 だとしたら、それは“ごまかし”以外の何者でもない。 自分の根本を揺さぶられました。 僕の人としてのあり方に疑問を感じました。 悔し涙しか出てこなかった。 今日、大学で社会学の授業を受けました。 その難解さで鳴らすウェーバーの代表作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 について時代背景から現代への影響まで詳しく解説する先生。 その分かり易さと、分かったことの喜びに、ただただ感動。 これがプロってやつだ。 感動を与えてこそなんぼ。 学びの感動はやっぱり“分かる”ってことにある。 この感動を僕は目指さなきゃいけない。 今度の揺れ方は、ちょっとポジティブでした。 目指すべきものが見えたから。 やるべきことが分かったから。 あとはやるのみ。 「壁はその人に乗り越える能力があるからこそ、与えられる」 ~師友塾塾長・大越俊夫~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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