|
カテゴリ:カテゴリ未分類
日に日に肌寒くなるこの頃。
中学3年生は悩ましい日々を送っている。(はず) 多くの子にとって人生初の進路選択。 ことにこの国では、それは大変なことなんだと思う。 僕らは常に何かを与えられ、やり方を教わり、 繰り返すことができれば賞賛される社会に生きていて、 日常の中で主体性を持った選択を迫られることは少ない。 にも関わらず、いざ選ぼうとなると、溢れるほどの選択肢が僕らの前に現れる。 しかも、それらのほとんどは、これといった特徴のない“無難な”チョイスだったりする。 そりゃ、迷うわけだ。 というわけで、今日も生徒は迷って悩んでいた。 というわけで、一緒に迷って悩むことにした。 僕は“地図が読める”はずの男だけど、方向感覚はあまりよろしくない。 そのくせ入念に調べるのが面倒で、とりあえずすぐ歩き出す。 そして、当然のごとく、迷う。 異国の街でも何度も迷った。 そんなときにはそこらの地図を探して、現在地を確かめた。 確かめたら、目的地までの行き方を探した。 大体の行き方が分かったら歩き出し、迷ったらまた同じこと繰り返した。 もちろん、そこらの人にも聞きまくった。 人にもよるけど、大まかに見て、人々は旅人に親切にしてくれる。 そうやって、効率は悪いけど、なんとか目的地にはたどり着いた。 しかし、変なのだけど、そんなに苦労してたどり着いた目的地の記憶を、 僕はあまり持っていなかったりする。 途中で目的地が変わることもある。 つまるところ、当初の目的なんて大した意味を持ってなかったりするんだ。 心の中に残るのは、 親切にしてくれた人の顔だったり 回り道して見つけた意外な風景だったり。 目的地の設定は歩き出す動機付けでしかなくて、 旅の醍醐味はそこからいかに外れていくかにある気がする。 そこまで考えて、悩める彼らを想う。 いわば目的地を選ぶ段階で迷っている彼ら。 その迷いは、絶対必要なんだとも思う。 自分が向かう方向を考えることは、自分と向かい合う絶好のチャンスだから。 それはいわば、自分だけの地図を作る作業。 でも、こうも思う。 散々迷って悩んだあとは、直感に身をゆだねればいい。 心は頭よりも早く動くから、それについていけばいいじゃないか。 歩き出さなきゃ見えないものがある。 それを見つけてから、いくらでも方向転換すればいい。 時に地図を頼りながら、時に道行く人を頼りながら 心の動きに沿って、変わっていけばいい。 そう、地図だっていつでも書き直していいんだから。 彼らを見ていると、まるで大旅行の支度をしているように見える。 なにせ初めてのことだから、まずどこに行こうか、何を持っていくか、迷う迷う。 人生という決められた時間を生きる僕らにとって、 持っていられる荷物は限られていて、 その都度不要なものは捨て、必要なものは足し。 そうやって、旅を続けている。 分かれ道に立つたびに迷い、悩み、決断する。 その決断の度に“ジブン”ってやつが鮮明になっていく。 それが、この旅の楽しいところ。 大旅行への出発を目の前にした彼らの迷いを、今は応援していたい。 決して旅の楽しさを奪わないように、問いかけだけを続けて。 迷え迷え迷え。 向き合え向き合え向き合え。 そして、進もう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月12日 16時19分25秒
コメント(0) | コメントを書く |