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僕が応援している「鹿島アントラーズ」にダニーロという選手がいる。 ブラジル出身の彼の特徴は、とにかく“遅い”こと。 「考えて走るサッカー」全盛の日本人には考えられないリズムで、彼はプレーする。 来日当初はあまりに違いすぎるそのリズムのせいで、周りと全く馴染まず。 本人も焦りを感じたのか、ムリに日本のペースに合わせようとしてむしろ逆効果、 という場面が目立ち、一気にサブへ降格。 リーグ優勝したチームの中で一際影の薄い存在となってしまった。 ところが、二年目の今シーズン、ダニーロはなかなか良い仕事をしている。 チームにケガ人が出ていることもあり、最近はレギュラーに定着。 ここぞという場面で点を取ったりと、昨年の彼とは明らかに違う姿がある。 いったいどうした、ダニーロ。 一番の違いは、ダニーロが彼自身のリズムでプレーするようになったことだと思う。 ムリに周りに合わせず、良い意味で開き直っている。 そして、周りもそれを受け入れ、ダニーロの特長を生かす工夫をしている。 そんな今年の鹿島の姿には、僕らの「異質」との関わり方への、 おっきなヒントが隠されている気がする。 日本ってまだまだ閉鎖的で均一な国で、価値観は一つに縛られがちになる。 「偏差値が高い学校=良い学校」だったり、「給料が高い会社=良い会社」だったり。 「多様性」に対する寛容さでは、日本は後進国だと思う。 誰もがその狭い価値観で動けるほど器用でないから、 生きにくいな~と思いながら生活している人がいる。 それが、いわゆる「不良」と呼ばれる人たちだったり、「異端児」と呼ばれていたり。 ダニーロは、「スピード万歳」の現代サッカーの中では、かなりの「不良」だと思う。 そんな「不良」が転校してくると、周りはやっぱり拒絶から入ってしまう。 「不良」も独りでは生きていけないから、周りから拒絶された中では輝けない。 かくして「不良」のアイデンティティーを捨て、 周りに「溶け込んでいく」人がこの国には多いんじゃないだろうか。 ところが、ダニーロは今年さらに「不良」を極めている。 もちろん、「不良」が結果を出し始めたことも一つの要素。 でも、もっと大きいのは「不良」が輝ける環境を作ったチームだと思う。 そこに至るまでには、たくさんのコミュニケーションがあったんだろう。 「不良」が自分を表現し、周りがそれを受け止め。 その両方があって、「共生」が生まれてる。 「周りの目が気になって自分を表現できない」とか「本当の自分が分からない」とか そんな悩みを多くの人が抱える社会は、健康じゃないと思う。 「自分を殺して周りに溶け込む」でもなく、「周りから浮いてしまう」でもなく それぞれがお互いの「不良」な部分を楽しみながら、共に暮らしていく社会を、作っていかないと。 そのために、僕らはもっとコミュニケーションをしていかなくちゃいけない。 上っ面な言葉でごまかすんじゃなくて、勇気を持って自分を表現していく。 そして、周りはその勇気を受け止めて、認めていく勇気を。 僕ら一人ひとりが、「小さな勇気」をちょっとずつ持てば、きっと世界は変わっていく。 そうやって変わる世界は、きっと、もっと楽しい世界になっていく。 どうせ生まれてきたのだから、そんな世界の一員でありたいもの。 さ、行動だ行動だ。 「奇形なら奇形でもいいじゃないですか」 ~料理人・斉須政雄~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年04月19日 23時11分04秒
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