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この前の日曜日のこと、「立ち止まらないとわからないことがある」ということについて、 それこそお腹のそこからわかったような気がしました。 この前の日曜日の夕方、掃除とか洗濯とかアイロンがけとか靴磨きが終わって、 すごく気持ちがよかったので、散歩に出たんですね。 なんていったってもう9月なので、気休めでもいいから秋っぽい気分になりたかったんです。 そう、僕にとって、秋とは、午後から夕方の散歩であります。 ラブリーでピースフルな「中之島公園」を歩いて、 ちょうどよく置いてあるベンチなんか見つけて、 ふうっと座って持ってきた本を広げて、 読んではたそがれ、たそがれては読んで。 そうやっておとなしくしていると、 気まぐれに吹いてくる気持ちいい風とか、 普段は耳を済ませないと聞こえない川の流れる音とか、 上手にキャッチできました。 なぜかジャンプする魚(飛び魚?)を何匹も見たりも、しました。 歩いたり走ったりしてたら、きっとキャッチできないと思います。 そういうものが、この世界にはいろいろあって、ほんとうの豊かさを作ってるんだけど、 普段の僕はどうしても、歩いたり走ったり、しちゃいます。 立ち止まったら、わかるのにね。 立ち止まらないと、わからないのにね。 だから、「立ち止まるきっかけ」は大事なんだと思います。 なにげなく、いい感じに置いてあるベンチなんてのは、 人間が持ってる、思いやりの心の、偉大な象徴ではないか、なんて、 大きなことを思ったりもします。 もっともっと、立ち止まれる人へ。 立ち止まれる人を、もっともっと。 そんなことを思った日曜日の夕方でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年09月07日 08時05分14秒
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