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「仕事に夢を持つかどうか」について考えました。 青臭い!なんて言わず、たまには考えてみるんです。 とても大事なことのように、思います。 僕の考えは、「気をつけながら持つのがいい」です。 「気をつけながら」というのは、見せびらかしたり、大切にし過ぎたり、しないようにってことです。 控えめに、どこか奥ゆかしく、持つのがいいと思います。 「仕事」と「夢」は反対の性質といえます。 「夢」はじぶんがしたいこと。 「仕事」は誰かがじぶんにしてほしいと思っていること。 ですもんね。 「じぶんがしたいこと」と「じぶんが周りから望まれていること」が一致しているひとなんて、 多分いません。 みんな、矛盾とか、やるせなさとか、「こんなはずじゃなかった」とか、 多かれ少なかれ、抱えてるでしょう。 「仕事」が誰かがじぶんに望んでいることである限り、 「夢」を全面に押し出しちゃいけないと思います。 夢があろうとなかろうと、まじめに仕事をやる人がいちばんえらい、そう思います。 「仕事をちゃんとやるひと」は、それだけで尊いというか、偉大というか。 それは、「約束をちゃんと守るひと」に似ています。 「夢を全面に押し出すこと」は、どんな崇高な夢でも、しちゃいけないと思います。 例えそれが「私の夢は誰かによろこんでもらうことです」なんてもんであったとしても。 なぜかはうまく言えないけれど、「夢だからがんばる」というのは 仕事をする動機付けとしてなにか違う気がするのです。 「自分はよくわかんないけど、みんな喜んでくれるから、なんとなくやる」くらいの方が 実はちょうど良かったり、するんじゃないでしょうか。 「仕事の質はそれにかける想いと比例しない」 僕はそう思います。少なくとも、僕の場合はそうです。 反比例するとは言わない、でも比例関係が常に成り立つわけでは、決してない。 でも、僕は「夢」は必要だと思います。(だいぶ堂々巡りです) なぜなら、夢はひとを「途上」にするからです。 「夢」は、絶対に「今よりもいいなにか」になります。 夢なんだから、当然ですね。 「今よりいいなにか」を思い描くことは、「今」を相対化してくれます。 「今」がスタート地点になったり、通過地点になったりします。 これは、とても大事なことのように思います。 「今」に安心し切らないことが、「今」を越えていく力になる。 「向上していく」ために、「夢」は要るんだと思います。 でも、気をつけていないと、「夢」はついつい出たがりなので。 「気をつけてお持ちください」ってことに、なるわけですねー。 たまにはこういった空中論みたいなことを考えます。 関西は、平和です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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