428720 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

かねもクラシックコンサート

かねもクラシックコンサート

前田勇祐さん インタビュー

前田勇佑インタビュー (2012.10.19)前田さん(M)、聴き手高橋(T)

T.いつからピアノを始めましたか?

M.幼稚園の年長の時ですかね。ずっと水泳をしていたんですが、ある時滑り台の上から落ちまして、頭蓋骨骨折し、生死をさまよう怪我いたしまして。そんなこんなで、しばらく水泳できないので暇やから何しようかなと思って姉の習っていたピアノでもするかと。子どもって音に反応するじゃないですか。

T.男の子ってスポーツにいくんじゃないんですか?

M.僕チームプレー苦手で。それと目が悪かったので野球のボール見えないし。得意だったのは水泳と走ることでしたね。けど、ピアノは好きでしたね。当初、自分で作曲するのが好きでしたね。今はしなくなっちゃったけど。周りの大人が大変喜びまして、“将来はモーツアルトか!”とか。大人が喜ぶと子供って嬉しいじゃないですか。サービス精神が旺盛だったんです。

T.その後順調に、音大まで進まれたんですか?

M.高校は普通高校を選びました。だいたいの方は音楽高校に進まれるんですが、僕はアウトローなところがあって“ピアノやってるけど、音高にはいかない”と悪ぶってみたりして。
それで、公立高校の外国語科に行ったんです。英語とドイツ語がかなりの頻度で組まれていて。その時に語学をしたことが後々生きていましたね。ドイツにも留学したし、海外で英語をしゃべる機会もありましたし。

T.音楽の道に進もうと思ったのは?

M.音楽の道に進むことはとっても厳しいことですからね。ピアニストなれたらいいな、くらいに漠然としていて、“夢”と思ってました。

T.ピアニストになったターニングポイントは?

M.またしても高校2年生のときに手を怪我しまして。ピアノが弾けなくなると、それまでピアノを弾いていたことが尊いことだったなと思ったんですね。それまでコンクールに出てそれなりに賞をもらっていたんですけど、当時はコンクールという戦場に行って勝ってくる、みたいな感じでテクニック重視できていたんですけど、それからですよね。テクニックではなく何かをできたらいいなと。その出来事がなかったらピアノに進んでいなかったかもしれないですね。

T.音楽ができる幸せを感じたんですね。

M.そうですね。周りは大学に進学していく人が多かったのですが、自分は音楽をしたいなと。自分の人生だし、夢にかけてみようかなと思いましたね。弾かないでいい運命だったらここで弾かなくなったかもしれないけど、神様からのアドバイスだったんでしょうか。

T.テクニック重視からそれではないピアノの音色についての追及にかわったんですね。

M.今までの舞台経験などがすべてなくなりました。でもその挫折が、ピアノを教える時に役に立ってますね。生徒が悩んでいるときに一緒に気持ちを理解してあげられるかなと思います。

T.そして留学もされているんですよね。

M.それも自分から行きたい、と思っていたのではなく、大学院に入ったときに大学側からピアノ科として第1号だったんですが、交換留学の話をいただきました。他の同級生とかが申し込んだりしていたみたいなんですが、ある教授が押してくださり、僕は寝耳に水だったんです。ある日教授から“前田君、来年からドイツ行ってもらうから”と。なんですと!?という感じでしたね。

先生が有無を言わせない感じだったので、行きます!となりました。その話がなかったら留学なんて考えてもいなかったですね。奈良の田舎者だったんで。その言われた時に思ったのが、猫でも連れて行こうかな、と思ったくらいトンチンカンでしたね。語学は大丈夫だったんですけど。

自分がピアニストになる、と思っていたら道は開けていくと思ってましたね。ある程度身をまかせてましたね。あの時留学してなかったらピアノ弾いてなかったかもしれませんね。普通にサラリーマンとか。

でも今だに自分で『ピアニスト』を名乗るのに抵抗ありますよね。言っていいんですかね。(笑)ピアニストというと特殊な人って感じがして。言い方変えようかと思ってまして。『ピアノ表現家』とか。
ピアノって一人でなんでもできちゃうじゃないですか。いいことでもあるんだけど悪いことでもあってピアノ弾くマシーンみたいな人もいて、ピアノ弾く前に音楽家じゃないですか、音楽家である前に芸術家じゃないですか。芸術をするってことは表現するってことでしょ。僕は『表現家』と名乗ろうかと。

T.とってもいいと思います!

M.ピアノを使って表現してるんで。表現するってことはそれなりの人格も問われると思うんです。ピアノのためにピアノを弾くのでなくて、ヒトとして幸せであって、周りにも気を配って、そういう人間だからピアノを弾いていいと思うんです。ピアノを弾くことが幸せでなくては意味がないので。ピアノを弾くことが苦痛であったら弾かなくなりますね。

T.表現家だと語りかけているような感じがしますよね。

M.いろんな想像力があっていいと思うんです。僕が心がけていることは、他の芸術文化、例えば、今度弾く、シューベルト、リストの『魔王』とかリストの『愛の夢』は、ドイツ歌曲ですよね。ピアノを弾くわけなんですが、この2曲を弾く時は自分が歌手になったつもりで弾きます。もちろん単旋律ではないので歌手であると同時に指揮者であったり、伴奏家であったり。ピアノの演奏会ではあるんですけど、ピアノを楽しむ、歌を楽しむことを感じていただけたら嬉しいです。

例えば、コンソレーションなんかも声楽的な曲ですね。
『マゼッパ』なんかはオーケストラの編曲もありますし、『ラ・カンパネラ』はもともとはパガニーニのヴァイオリンコンチェルトですね。鐘の音をモチーフに書かれているので、ピアノの音なんですけど鐘の音が鳴っているように感じていただけたらいいですね。

僕がピアニスト、ラドゥ・ルプーの演奏会に行った時、彼の演奏を聞いたときにピアノを聴いたというより、詩の朗読を聴いてきたと思ったんですね。例えばファジル・サイ(日本では「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」のキャッチーで知られている)のピアノを聴いてみると何か映画の超大作を見てきたような、気がします。そういう体験を僕も聴いている人にしてもらえるようになりたいですね。

T.ピアノという楽器はフルオーケストラの音が出る楽器と言われていますが、ピアニストってどう思って弾いているのかな、と思っていたのですが。

M.僕はそう思って弾いてます。で、ピアノからピアノの出ない音が、錯覚なんですけど出るんですよね。

例えば、ソコロフのバッハの演奏を聴いた時は、まるで木管が演奏してるように聞こえました。私自身様々な表現を海外で聴いてきたので、自分もそのような演奏ができたらいいなと思います。

ピアノ弾くって事を本番ではなるべく忘れるようにしてますね。
ピアノって指もたくさん動かしますし、暗譜も大変ですし、神経質になっていたら弾けないです。だから一度無の境地になって、コンサートのときは、できるだけお客さんと空気で会話できるように心がけますね。お客さんの受け取り方はそれぞれであっていいと思うんですよ。

僕が例えば『月光ソナタ』を弾くときに「水面に浮かぶ月の光」のようだと思って弾いていてもお客さんが「お葬式のような曲だ」と思っていただいてもそれはそれでいいと思うんですよ。強制する必要はないので。でも何か発してないと何も伝わらないと思うので。
自由でありたいですね。固定概念を持たないように。

T.表現者になればなるほど、いろんな趣味をもって、いろんな経験も多彩にして.

M.同じ方向の練習をしていたらどんどん小さくなっていっちゃうんですよ。僕の心がけているのは一日の練習が終わったらリセットします。打ち壊すために練習する、そしてどう戻ってくるかってところがあります。廃人になるくらい入り込みます。何もできなくらいフラフラになるまでします。

T.それって何時間くらい弾くとなるんですか?

M.ドイツでの留学時代は、朝6時に起きて7時から12時間とか部屋にこもっていたらそうなりましたね。なんか光が見えてくる・・・。そんな感じも楽しかったですね。フラフラになって夜10時くらいに帰ってくる。その感覚も気持ちよかったですね。今はそこまでしないですけど。

T.そこまでやって翌日どうなっちゃうんですか?

M.それが以外と元気なんです。昨日はあっちの方向に行っちゃったな~、今日はこっちの方向で、って感じでしょうか。

T.好きな曲家とかいますか?

M.やっぱりロマン派になりますね。
リストはライフワークになってますね。大学もリストの大学でしたし。いろいろとゆかりもあったものですから。あと、ショパンが好きですね。一番好きといったらショパンかもしれないですね。
バルトーク、そう考えると民族性が強いものが好きなのかも。

T.ありがとうございました。演奏会が楽しみになりました。


© Rakuten Group, Inc.