2021/06/30(水)01:50
巴里のアパートで本に埋もれた人の話
夫が一週間ほど前に仕事の一環で久しぶりにパリに行ってきた。
一晩、パリ市内に住むある還暦を過ぎたご婦人のアパートに泊めていただいたそうだ。
若干年上の長年の先輩的存在の人で、顔は私は知らないのだが、時々、仕事の話に出てくる人。
巴里のカルティエ・ラタンにあるアパートに住んでいるそうだ。
わあ、いいなあ、カルティエ・ラタン、画廊も多くて、昔、よく散歩もしたなあ、
老舗のカフェもあって、いいねえ、と言うと、夫は、
うん、でも、彼女のアパートは古くてね、水漏れとかあって、
書籍の一部が被害を受けていたらしいよ、と。 住まいで水漏れがあると、かなりまずいでしょ。
仮に水漏れの修理を呼んだとしても、とにかく本にどこもかしこも埋もれているので、
その本をすべてほかの場所に持っていかなくてはいけないが、彼女も年老いているので、
そんな力はなく、本って重いからね、そもそも、ほかの開いた場所がないから、
と続ける夫の話を聞きながら、つい笑いがこみ上げてくる。恐ろしすぎる。
で、仮にどうにかこうにか本を移しても、また元に戻さなくてはいけないわけで。
たぶん、天井まで本が埋まっているんだろう。
と、いうか、わりに他人事ではないかも、と思いつつ。
そうだ。ものが多すぎて片付かない、というレベルを超えて、本に埋もれる地獄。
埃はたまり、蜘蛛の巣ははる。
年老いてしまうと、力はなくなるわけだし。
そうなる前にどうにかしないといけないのか。
ほんとうに大切にしたいものも埋もれているような状態は確かに残念だし。
モノをほんとうに減らし、掃除をし、すっきり豊かな気持ちで暮らす人には脱帽。
住まいをすっきりさせるのは夢でも、カップルで暮らす時は半分目をつむったほうがいいんだろう。
この空間を開けたと思った場所に夫が本を積み上げてゆく時は何も言わないけれど、
心の中では結構 心が 折れる。自分がした行為なら結構許せるのにね。
砂の城を波がさらってゆく。
住まいと言うのは、いろんな形があるけれど、
ある若いカップルの家を訪ねた時は、楽しかった。
やっぱり本が一杯。赤ちゃんもいるので、おもちゃもそれなりにある。
で、お茶カップは何がいい?と私たちに聞くたびに、くまさんカップを見せたり、
豚さんカップを見せたりする。何故か、カップがみんなアニマル。
あれは楽しかった。普通のカップがないんだ、と納得。
なんというか、どういう環境でも笑いがそれなりに取れる住まいはそれは
それでいいのかな、と思う。