老父のつぶやき

2017/12/18(月)23:01

脱炭素社会

視・紙・誌面から(1848)

NHKの放送の受け売りみたいになるが、昨日の放送は日本の発想の遅れっぷりを示す良いテーマだった。エネルギーを得るのに炭素と酸素の化学反応を使おうと言うのがイギリスからおきた産業革命の発想だ。 結果、イギリスの山と言う山は丸裸になったと言う。木を燃やして蒸気を造り、それで機関を動かした。おそらくこの時に天災もあっただろう。緑を育てるためか、もっとエネルギー密度の高いものを目指してか、石炭と言う化石燃料に手を付けた。その次は石油。かくてエネルギーの元を制したものは金の流れを制し、大儲けをした訳だ。 ところが排出物が大気汚染や気候変動の原因となりはじめた。時代はやや異なるが、1960年代の日本の大気汚染と現在の中国で起きている大気汚染は同じものだ。二酸化炭素が増え、災害が大規模化している現状だ。 この期に及んで、日本政府は石炭を燃料にする火力発電所を高効率をお題目にして、海外に売る計画を進めているが、いわゆる先進国から批判を受けている。「19世紀のテクノロジーだ」と。中国も太陽光パネル、風力発電はヨーロッパなどでどんどん採用されてユーザー側でも黒字の決算をしている。 日本の再生可能エネルギーが成長しないのは、電力会社の都合だ。送電、配電を独占して価格の高止まりを狙っている。再生可能エネルギーが出力が変動するのを理由に、接続させない。 しかし、酸素があってこその燃焼だ。酸素が無くなったら燃料に意味はなくなる。もう化石燃料を燃やせない情勢になっている、あるいはそれをやめる計画をする時代になっている。 今のままでは日本の衰退は確実だ。今、日本で「焼き畑農業」と言えば「何と前時代的な」と笑うだろうが、それが電力で起こり得る。電気のコストで負ける時代がやって来る。

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