老父のつぶやき

2024/10/03(木)20:54

床屋にて

視・紙・誌面から(1854)

朝から雨で畑には恵みの雨だが、外仕事は出来ないので床屋に行く事にした。考えてみれば盆前に行ったきりだ。 ちょうどTVで「墓じまい」の話題をやっていた。番組の中では「私には子供がいないから、甥にでも守りを頼もうかと思っている」と言う事だったが、「近ごろはね〜墓残すのも子供の負担にならないか気を遣うねえ」と言う話になった。直系でも3代たてば、写真で見た事がある人に成り下がる。11歳の孫が頭だが、私の父の葬儀の時はまだ息子は独身だったから、2代前の私ら夫婦しか彼は知らない。 「この頃は葬式も簡単になったねえ。昔は村のイベントみたいなもんだったが」 「コロナでいっぺんに縮小したね」 私の村には、若い人の流入が続いている。土地が安いからだ。一方で、久しく顧みられていない墓もある。昔の凝灰岩で、すでに字も読めなくなっているほどで、古老に聞いてやっと関係者が分かるに過ぎない。その末裔も大阪やらに住んでいるという。親を呼び寄せて墓を建てたい人は増えるが、もう区画が限界で、顧みられない墓の場所を空けてあげられればいいのだが、無関係のものがそういう事も出来ない。 「うちの息子には『墓を造るのも高いから、骨の納置所みたいに考えとけば良いんじゃあないか』と言ってるよ」 「近ごろは仏壇も墓もなくて、火葬にしたら骨を引き取らずに『全部処分しといて』と言う宗派もあるそうだよ」 「今の墓地が出来る前は堤防の外(川原)に埋めてあって、石の目印があるだけで、水が出たらみんな流れてしまうような事だったと父から聞いてるから、昔に回帰してるのかな」 まあ、故人になった人の始末?は大変だ。わが家では法事も家でやっているので女房が坊さんの接待とかもしているが、参加者は妹と弟の夫婦と子供たちの家族だけになってしまった。この頃は仏間や座敷も家の設計にはないから、お寺でする事が増えたそうである。今まで2時間かかっていたところが、ずいぶん短くなり、お茶もお寺が出してくれて、檀家は客面をしていればよく、女房族には好評だそうだ。 父が法事を取り仕切っていた頃は、坊さんの食事や飲料の手配など何でもかんでも檀家持ちだったが、時代は変わった。いっそ散骨でもして、海にでも撒いてもらう方が良いかも知れないね、などと話しているうち、散髪は済んだ。 ただ、散骨するには、骨を原形が残らないようにすりつぶす事が必要だと聞く。孫あたり、国際結婚も珍しくなくなるだろうから、土地に縛られるのも迷惑だろう。そういえば丹波の山で見かけた墓標はまるでマンホールのフタだった。あれなら埋葬もフタ?を持ち上げて下に撒いて戻すだけで、手軽だと思う。土地の束縛は変わらないが。

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