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テーマ:法事(24)
カテゴリ:分類困難
先月になって今年が父の25回忌になることを告げられた。僧侶によればこの頃は三年の年忌でやめてしまう家が増えてきたそうである。寿命が延びて、例えば33年の法事を孫が勤めるということも起こりえて来るが、実際問題一緒に暮らしていなければ祖父母の存在なんて実感がないだろう。
父が亡くなったとき、娘は中学生、長男は大学生だったからまあ顔くらいは覚えているだろう。しかし兄妹の数も減り、少子化となると集まること自体が次第に困難になってくる。一方でグローバル化で外国に住むのも珍しくない時代、寺院というのは葬祭業とえらく変わらないものになる。 同時に宗教の需要も疑問だ。だれしも生きる目的とか心の悩み、迷いには必ずぶち当たるものだが、「葬式仏教」と揶揄されている現状では先は見通せまい。 それでも法事というものの精神を「先祖に「元気で仲よく暮らしているよ」との報告会にしよう」と子供たちに言った。 それから「実技」のためのマニュアルを今書いている。書いてみて、いかにこれまでやってきたことに「穴」が多いかを実感している。この伝達、どれだけ子供たちの役に立つやら、はなはだ心細い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年03月17日 23時43分48秒
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