黄砂
昨日の京都行きで、黄砂の影響を如実に感じた。帰りの神戸付近では六甲山が山陽本線から間近に見えるのに、山頂の電波塔が霞んで見えなかった。普段であれば綺麗に見える。神戸は六甲山系と海が非常に近い、坂ばっかりのところだ。東西はだいたい水平に移動できるが、南北は傾斜との戦い、どうかすると下りで自動車を運転していると、道が見えないところがあるほどだ。時間の経過もあろうが、西へ行くほどに遠くまで見えるようになる。夕方になって普通なら夕陽に向かって運転し、これはかなり辛い、眩しい思いをしねければならないのだが、その太陽は白く光る丸いものだった。周りのギラギラがないのである。学生時代に、東京に住んでいた友人が、「東京じゃあギラギラした太陽じゃなくて赤くて丸いのが朝にずりずりと上がってくるんだよ」といっていたのを思い出した。1970年ごろの公害華やかな時である。そこまで空気が汚れていたんだなあ。煤煙とか煤塵なんてこのところは聞かなくなった言葉もあった。そして結構気温は高かったはずなのに日光は遮られ、太陽熱温水器はやっと40度になったくらいだった。太陽の恵みをありがたく思った次第。今日は一転青空とギラギラが広がった。お湯は55度。二酸化炭素削減に貢献している。