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かつてのことで、私の中学の頃だったが
東大安田闘争、日大闘争を思い出す。 教師と対等に公平な意見を述べる学生たちをみて 法律だけの建前の世界からとびたつきっかけをもらった。 しかし、連合赤軍の恐怖政治での総括から仲間を虐殺しあったところが、幼すぎて若すぎる者達の行く末はあわれなものとなっていった。 以下引用 「全共闘の闘いは、何よりも、民意にこたえれば、運動は大きく発展し、民意から離れ自分の主観的願望に陥れば、運動はたちまち終息してしまうことを教えてくれたのではないかと思います。(中略)今こそ、民意に学び、民意にこたえ、民意を最後まで実現する真に『新しい政治』が切実に求められているのではないでしょうか」 抜粋引用 70年3月に過激派学生ら9人が民間航空機をハイジャックして北朝鮮に亡命した「よど号事件」のメンバーの一人である小西隆裕氏は、現在も住む北朝鮮から回答を寄せた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
私の学生時代のこと。
私が早稲田大学を受験したとき、試験場に機動隊がきていました。生まれて初めて機動隊をみました。 その次の年は我が大学がバリケード封鎖され、その翌年東大紛争が起こりました。以後、明治と続き、日大はどうして、紛争がないのかと思っていましたが、起こりました。 学園は封鎖され、授業はありません。毎日、封鎖された大学の前の雀荘で毎日を過ごしていました。 だから、教科書を見たことはありません。 試験はレポート提出でした。教科書を丸写しして、進級したことを思い出します。 それでも私大は卒業できるものです。だから、私大の卒業証明書といっても、内容が充実しているとは思いません。 (June 21, 2019 07:15:44 PM)
fish5558さんへ
コメントありがとうございます。 東大安田闘争は私が中学3年だったと記憶しています。 当時、教師と対等であるようで対等ではなかった。意見を言うと内申書の行動欄評価が悪評価になって進学に厳しくなったことが、東京都世田谷区長保坂展人さんの事件で問題になりました。私が在学した中学の音楽教師はあからさまにことあるごとに話題にしたが良心のある熱血教師もいたが税金泥棒の良心に欠けるアホも少なからずいた。 それから連合赤軍の内部の虐殺、革共同の内ゲバが「民意から離れ自分の主観的願望に陥れば、運動はたちまち終息してしまう」ものになって行きました。 >試験はレポート提出でした。教科書を丸写しして、進級したことを思い出します。 私が入学したときは、学園紛争も終焉に向かいましたが 4年間で後期試験が3回しかありませんでした。 私も大学で勉強もせず卒業できた訳です。 卒業してから、15年位たった30歳後半になった頃あらためて簡単な宅建と仕事で労災関係の処理を担当していたので社労士を取って、そしてその後旧司法試験を目指し数年勉強しましたが歯が立ちませんでした。 45歳で勤めをやめて社労士開業し今に至りました。 (June 22, 2019 03:54:38 PM) |