先日、お詫び、謝ることについてちょっと考えさせられた。
その際に“心をこめる”ということは大切なことだと思うが、
果たして心がこもっているかという判断はむずかしい。
世の中にはどうやら2つのタイプの人がいる気がする。
なにかトラブルがあった際のお詫びの言葉。
とりあえず謝ってもらえればそれでいいというタイプ。
口先だけのお詫びの言葉ならいらないというタイプ。
まわりの人とそんな話題になった際、
この2つのタイプに分かれるなと思った。
わたしは後者で、謝る気がない心のこもっていない
お詫びの言葉ならいわれない方がいい。
●roze-piのつれづれ日和♪
少し前の話になるが、原因はおそらく些細な事で母ともめた。
「すみませんでした」
文字で書くとこれだけで、
語調もわからないがお詫びの言葉であることはわかる。
「謝る気がないなら謝らなくていい。心がこもってない。
本当にわるかったと思ってないんだよ」
そのときわたしはそういった。
後日、人からこんな話も聞いた。
もめて“とりあえず謝っておけば”という具合に
謝るのは、“もうそんなに責めないで”という
気持ちがあるからだ、と。
だからちょっとそっけないように聞こえる。
▼心のこもったお詫びの言葉
母と2人の生活になって、このようなことがたまに起きる。
そのたびに、同じようなことになる。
なぜだろうかと考えてみた。
その1つが、口調。
文字で書くと同じ「すみませんでした」であるが、
お芝居でいったら棒読みな感じ。
もう1つは、親しい親子という間柄なのに
親子でもていねいな話し方をする家庭もあるかもしれないが、
他人行儀な「すみませんでした」という言葉を
選んだことかもしれない。
「あ、ごめん。わるかった」さらりといわれた方が、
その気持ちが伝わる。
▼心がこもっていないはずのお詫びに心動くこと
ところで、天使っちハクさま。
お言葉王子のハク。
教えなくても勝手に言葉を覚えてしまったこともあり、
「うるさいでちゅよ」などといっていたら、
「kayoちゃん、うるさいでちゅよ」
などとハクちゃんに意味もなくいわれたことがあり、
それ以降言わないように気を付けた。
当然意味もない言葉なのに、
鳥にうるさいなどといわれたら、気分が悪い。
そんなハクちゃんは、たまにテンションが上がって
がぶっと噛みつくことがあった。
血こそ出ないが、ぷくっと腫れあがり結構痛いのだ。
「ごめんでちゅ」と教えようと思った。
タイミングよく言えなくても、鳥にいわれたら許せてしまう。
お言葉王子ゆえ、すぐ覚えてしまった。
ところがハクちゃん、“ごめん”を単独で使った。
「kayoちゃん、ごめん。kayoちゃん、ごめん…」
念仏を唱えるように言い続けられた。
これにはまいった。
意味もなく発しているのは重々承知していたが、
聞いていると、逆に罪悪感を覚えてきた。
「ハクちゃん、あやまらなくていいよ」
そう、決して謝っているわけでない。
ハクちゃんの心がこもっているわけではない。
だが聞いているわたしは、心から謝っているのを許してあげない
悪人のような気持になってきたのだ。
▼クレちゃん、心をこめたお詫び
アイドル的インコ、クレちゃん。
ウロコインコゆえ、噛むと流血事件に発展する。
母はたまに噛まれる。
「クレちゃん、“ママ”に謝った?」
「キーッ」
近頃お返事だけはいい。
「心を込めて“ごめんなさい”っていった?」
「キーッ」
「とりあえず謝っておけばいいや、じゃダメだよ」
「キーッ」
「“ママ”噛んじゃってごめんなさい」
クレちゃんの代弁をする。
クレちゃんが噛んだ際、
しつこく“心をこめて”と言い続けた。
▼変わったと感じた「すみません」
その後、同じようなことがあり
再び母のお詫びの言葉を聞いた。
ん?
なんか違う!?
何がどう違うのか説明がむずかしのだが、
おそらく口調が柔らかくなったのではないか、と思う。
▼建前は演技でもいい!?
母の口調が変わったと感じた時また考えた。
この「すみません」は前回と同じなのか、と。
今回は心がこもっているのか、と。
心がこもっているかは別として、
心から詫びているように感じたわたし。
ということは、とりあえず謝っておけばいいや
という気持ちであっても
“心がこもっている”と相手が感じられる謝り方を
すればいいのではないか、と。
▼謝らなきゃいけない時もある
仕事や世間一般の人間関係。
理不尽だと思っても謝らなくてはいけない場もある。
心から悪いと思わなくても、
お詫びの言葉を口にしないといけない時がある。
同じ謝るという行為をしなければならないのなら、
心のこもったお詫びをしている“演技”でもいいのだ。
そうすることで相手が心を開いてくれたり、
関係がよくなるなら
どうせ謝らなきゃいけないのならそうした方がいい。
余談だが、わたしの知り合いで謝り上手の人がいる。
本当に申し訳えなかったという気持ちが
伝わるような感じに謝ってくる。
ただ同じ間違いを繰り返すことがあるから、
心から申し訳ないとは思っていないんだろうなと思う。
それでも、きちんと詫びてくるので気分を害しても、
まあしょうがないな、
次から気を付けてくれればと思えてしまう。
▼細かいことは気にしない
こんなことをあれこれ考えていると、
やっぱり細かいことは気にしないというのが
一番だと思えてくる。
とりあえず不服そうではあっても
お詫びがあればよしとし、
逆の立場なら、謝らなくてはいけないときは演技せよ、
ということだ。
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