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テーマ:愛しき人へ(903)
カテゴリ:今日の出来事
22日の夜遅く、祖母が天国へと旅立ちました。。。
これまで色々な病気と闘ってきた祖母ですが、2年前、膀胱の調子が悪くなり子宮体癌が発覚。 それから入退院を繰り返しながら、抗がん剤、放射線治療をしてきました。 抗がん剤は6回の予定が副作用による体調不良で3回で終了。 その後放射線治療に切り替え何とか癌の勢力を抑えることが出来ました。 元々肺気腫という病気を患っていたのですが、今年の8月に再び体調を崩し、癌が肺と肝臓に転移していることが判明。 呼吸をするのが辛い状況で再入院しました。 祖母は自分の病気のことを全て知っていました。 癌治療に関しては、抗がん剤治療が辛かったので何もしないというのが祖母の希望で、酸素吸入と点滴の入院生活を送っていましたが、自宅へ戻りたい・・・っという祖母の強い願いもあり9月17日から自宅での闘病生活が始まりました。 訪問看護士さんの手助けを受けながら、母も介護に専念しておりましたが、日に日に弱っていく祖母。 せん妄という症状も現れはじめ、母も涙する日が多くなりました。 私も出来るだけ祖母や母の様子を見に行き勇気づけるようにしておりましたが、私が出来る事って些細なもの。。。 それでも祖母は私や子供達が行くといつも笑顔で迎えてくれ、自分は病気なのに常に私のことを気にかけてくれました。 私は小さい頃からおばあちゃんっ子でした。 母は長年お仕事をしていたため、私が結婚してからは母と話すより祖母と話すことの方が多かったかもしれません。 時々厳しいことも言われましたが、いつも私の事を心配していてくれました。 そして子供達の事もたくさんたくさん可愛がってくれました。 亡くなる2日前の土曜日、りっちゃんとリンリンとお見舞いに行った時には、最近めっきり物が食べられなくなっていたのにも関わらず、持っていったタイ焼きを「美味しい。」っと言って1個食べきりました。 前日の日曜日、お兄ちゃんとお見舞いに行った時には、自分のはめていた指輪を「こんなの燃やしても仕方ないからお前にあげる。」っと力のあまり入らない手で必死に外そうとしました。 手のむくみもあったため、なかなか抜けなかったので、「むくんでいない時でいいよ。」と私が言っても全く聞かず、何が何でも外そうとしていたので、見かねた母が石鹸を持ってきて何とか外すことが出来、祖母からその指輪を頂きました。 その時、祖母は自分の死期が近いことを感じていたのかもしれません。。。 そして月曜日。 午前中たまたま時間が空いたので祖母の様子を見に行くと、息苦しそうに眠っていた祖母。 時々目は開いていたのですが会話をすることが出来ませんでした。 それでも話しかけると、手を動かしたり、眉が動いたりしていたので話は聞こえていたのかな? 結局それが最後の姿となり、火曜日の早朝、母から訃報の連絡がありました。 もう悲しくて淋しくて涙が止まらず泣き叫びました。。。 残された年老いた祖父と母はもっと苦しかったと思います。 水曜日にお通夜、昨日の木曜日に告別式が行われ葬儀が終了。 遠方から弟一家や母の兄夫婦、従兄弟達も来てくれ、祖母にとっての曾孫11名が初めて揃いました。 祖母も喜んでいたことと思います。 私自身は悲しみの中、葬儀社の担当の方との細かな打ち合わせ等させていただきました。 でも大まかなことは生前に祖母が葬儀社の方と打ち合わせ済みでしたので、スムーズに事が運び、祖母の周りに迷惑をかけないという気づかいがしみじみと伝わり感心させられました。 いつも自分のことより周囲の人を心配していた祖母。 自分の体の調子が悪いのに、亡くなる前日まで私の事も気にかけてくれてるとても優しい祖母。 その存在感が偉大過ぎてぽっかりと穴が開いてしまった感じです。 パパもお兄ちゃんもりっちゃんも悲しみで号泣でしたが、私と一緒に祖母を見送ることができました。 私はたくさんのありがとうを伝えお別れしました。 祖母との思い出はたくさんありすぎて今でもすぐに泣けてしまいますが、祖母が心配していた祖父や母を支えていかなければならないので、私も頑張ろうと思います。 享年85歳。 祖母のご冥福を心からお祈りします。 ブログ村のランキングに参加中! ご訪問の際にはポチって応援してくれると嬉しいです にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.26 21:32:06
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