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2009.09.30
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カテゴリ:明治時代
明治初期、佐賀士族には3つの党がありました。

当時征韓論争が日本国内で沸騰しており、もし朝鮮に出兵するなら進んでその兵に加わろうとする征韓党、これは明治新政府でも参議にまで昇った江藤新平を党首に掲げていました。
さらに、江戸時代のような国家体制を理想としており、明治新政府の体制には不満を持つ憂国党があり、これは北海道開拓で有名な島義勇を盟主と掲げていました。そして前山清一郎を中心とする中立派の中立党という3つの党があり、それぞれの党は互いに対立している状態でした。

しかし佐賀の乱の折には、政府軍から佐賀を守ろうと征韓党、憂国党が手を組みましたが、中立党は政府軍に味方し、佐賀軍と対決しました。

征韓党は佐賀軍が敗色濃厚になると、江藤により解散命令が下され、江藤は西郷隆盛に援軍を求めて鹿児島に逃亡します。
一方の憂国党の島義勇は最後まで徹底抗戦し討ち死にを主張しますが、再起を促され逃亡しますが後に捕縛されます。
一方中立党の人たちは、乱の後も元江藤や島派の士族たちとは対立したり、地元佐賀を攻めた政府軍に協力したとして責められたりし、佐賀にも居ずらくなり、その地を去った人も多かったらしいですね。










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最終更新日  2009.09.30 22:23:44
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