井上聞多(馨)、刺客に襲われ瀕死の重傷・・・30年後に判明した驚愕の犯人とは?
幕末の長州藩では、幕府に恭順を示す椋梨藤太を中心とする俗論派と、幕府に対抗することを主張する正義派が対立し、武備恭順を主張する井上聞多(馨)は会議の後帰宅する途中に、暗闇の中、刺客数名に襲撃され、瀕死の重傷を負います。暗闇の中必死に逃げ、なんとか刺客達から行方をくらました井上ですが、あまりの傷の深さに兄に介錯を頼むほどであったといわれています。しかし、名医所郁太郎により50針以上縫う大手術により一命を取りとめます。その後高杉晋作率いる正義派が挙兵し、長州藩から俗論派を一掃し、長州藩は幕府に対抗する方針を固め、薩摩藩と共に幕府を倒す原動力になります。ところで時代は明治になり井上は新政府でも重要なポストに就き日本の政治を動かしていくことになるのですが、井上を襲った刺客たちの正体は長い間不明なままでした。しかし、井上が襲撃されてから約30年後、刺客の一人児玉愛二郎が自分たちがやったと告白をしました。襲撃犯は児玉愛二郎・中井栄治郎・周布藤吾の3名であり、中井はかって俗論派の中心でもあった椋梨藤太の次男であり、高杉晋作らにより正義派が藩の実権を握った後、逃亡中捕らえられ、父と共に処刑されました。周布藤吾はかって俗論派により切腹に追い込まれた周布政之助の長男であり、第二次長州征伐の時に井上の配下として参戦し討ち死にしています。そして児玉愛二郎は、新政府で井上のはからいもあって出世していた人物でした。中井はともかく、周布と児玉が襲撃犯であったとは井上は夢にも思わなかったでしょう。児玉は後に井上を襲撃した時に使った刀を贈呈しています。幕末という激動の時代と、明治という近代国家の、まさに急激な時代の変化を感じさせる話ですね。 長州ファイブ五十嵐匠ブログランキングに参加しております。よろしければクリックお願いいたしますm(_ _)m