Osho禅タロットとは?
タロットって聞くとみなさん、占いですか?って言われるんですけれど私にとってその部分がひどく答え辛く人が「占い」というものに持っているイメージもあるんですけどOsho禅タロットはいわゆる「占い」ではありません 未来を言い当てたりこの彼氏と結ばれるかどうか?とか相手は私の事をどう思っているんでしょうか?とかそういったご質問が実は私はとても苦手です(笑) じゃあ一体何が分かるんですか?ってなると想うんですけど・・・ 実はOsho禅タロットは「自分を紐解く」ことに長けているんです 人の行動は潜在意識が司っています 例えば自分が台所まで来てから何をしに来たか分からなくなり元居たところまで戻ってああ、そうそうここへ袋を取りに来たんだとか想うことはありませんか? 意識が人のすべてを支配しているのであればそういった矛盾は起こらず人はアタマで想ったことを正確に行動に移せるはずなのですがさにあらず人を動かしているのは潜在意識なんですね~ ものが生まれるときにはそのものが生み出される動機が元になっていると想うのですが禅タロットというタロットは人の潜在意識に働きかけられるように創られたタロットです だからまっしぐらに人の潜在意識に直行します(笑) では潜在意識って何ですか?ってことなんですけど潜在意識というのは何となく・・・という感じの世界です ユングはそれを氷山に例えてましたっけ? 氷山って上に見えている部分より海中に沈んでいる部分の方が大きいんですよね 氷山の上の見えている部分が「意識」の世界で海面の下に広がっている氷山が「潜在意識」いわゆる無意識と呼ばれる世界です でもね~これが意外とクセモノなんだな~(笑) 人はね本当は知っているんですよていうのが私の持論ですでもね都合の悪いことは知りたくないんです(笑)それを人は「わざとじゃない」と表現しています 「わざとじゃない」ってある意味、すごく便利な言葉ですよね?(笑) 自分がしたことなんだけど自分には責任がないって言う意味ですよね?(笑)責任者不在・・・(笑)わざとしたら罪わざとじゃなければ過失・・・でもその場で起こったことの事実は罪であろうと過失であろうと何一つ変わらないのにです(笑) 私は人が何かを求めるのは本当は自分の中の自分に出会いたいからじゃないのかと想っています 恋愛もしかり仕事もしかり 自分を知るというのは自分じゃないものの存在があって初めて可能なことでそのことを通してその場の経験が今まで出会えなかった自分との遭遇を促している 誰かを好きになって初めて自分の内側で感じられる世界ってあるじゃないですか? そしてその好きって言う感情を体験するためにはやっぱり誰かの存在が必要なんですよね? だからその人との関係がうまくいくかどうかよりも自分が人を好きになって体験していく一つ一つの経験が本当は自分を豊かにし自身を開花させていくのだと想うんです 人が経験することに何一つムダはないと想います その一つ一つがやっぱり人を育み豊かにしているのだと想うんです Osho禅タロットというタロットは外へ外へと向かいがちな意識を自分自身の内側へ転換させてくれます あの人と、この先、どうなっていくのか?という外へ外へと向かおうとするベクトルをなぜ、自分がこの人を好きになったのか?自分は何を求めているのか?という内側へ向かうベクトルへとシフトさせてくれるのです 人にとって一番分からないものが自分自身です 自分が分からないので自分を評価する他人に自分を委ねてしまうのですが他人の評価というのは所詮は他人の価値基準にしか過ぎないので結局は他人に振り回されることになってしまいます 自分とは誰なのか? これは永遠の謎であり尽きせぬ問いかも知れませんが ここに一歩ずつ近づくことで内側の安堵感は増していきます Osho禅タロットとは外側の事象を使いその時々の自分をみせてくれるタロットです