アイデンティティ・クライシス・・・その4
前回の続き・・・議員さんは、こんな人ばがりではないので誤解なきよう・・・ただ、「依存」って事は絶対にあるんですよね。お互いに・・・最近は、尊敬するある人から、「共依存」って言葉を教えていただき、自分という人間がどういうものなのかを考えることが多いです。。。さて・・・お役所からもらえる「指名」のからくりは、このように様々な背景がある。鶴の一声があれば、多少の事は通ってしまう。今でこそ、各建設会社の経営事項審査結果の総合評点は一般に公表されている。今でこそ、全国の建設会社の評点は、ネットで検索すれば簡単に知ることも出来る。既に常識である。しかし、この時期はまだ、一般にはマスクが覆いかぶさっていた。だからランクの中で微妙な、あと少しの評点があれば上のランクに入れるという位置づけの業者は、例えば近隣の工事などで特に取りたい工事があるならば、政治力は欠かせないものなのである。また、新しく入札に参加する場合も必要である・・・さもなければいつまでたっても指名されない。ディスクローズ、アカウンタビリティ等という概念に気付きもしなかったこの時代・・・不透明な状況をいい事にして、人間の様々な野望が錯綜していた。お役所から、とある工事に指名をもらった。指名通知書なるものがFAXされるか電話で連絡が来る。まず、指定された日時に現場説明会なるものが開催される。指名された業者は一旦全員呼び出され、工事の図面及び仕様説明、入札日及びその他の注意事項、事務事項が説明される。この日に、この工事に対して、誰が指名されているのかが全てわかるのである。現場説明会終了後から入札日までの期間に、業者同士で落札業者を決める事になる。いよいよ談合が始まる事になる。談合によって、人間の持つ醜いものを改めて確認する事が出来る・・・セレクトする事、つまり「決める」という行為は、どのような事でもそうかもしれないが、人間の持つ醜い部分を直視することなく避けては通れないことだ。高度な頭脳を持つ動物は、いくら偽善者ぶっても、利権に対してのエゴはどこかに潜むもの・・・談合には各自が持つ、「筋論」が展開される。これが中々厄介なものである。土建屋のオヤジの偏った思考は、ズッコケな部分もあれば、理路整然とはしているものもある。これが公共工事を取るための創意工夫などと言う輩もいるが、やはり声のデカイ奴は強い・・・敵に回してはいけない業者もいるのだ。工事の取り合い話し合いが始まると、皆、様々な理屈をこねる。以前譲った、或いはお宅には貸しがある・・・etc義理人情なるものを被せての口撃は、平気で第三者まで巻き込んでくる・・・中には、中立公平を名のる「仕切り屋」が登場してルールまでも発案する。よくそこまで考える暇があるなぁ・・・とは感心したが、各業者の落札実績を勘案して、少ない業者にも落札させるように順番を決めたりのルールである。ポイント制とかのかなり細かい部分があるが、全部説明すると大変なので省略する。(あまりにも馬鹿げているので・・・笑)順番は、工事の規模や金額の大小は関係ない。だから、運も必要になる。そうなると、ルールに納得しない奴も出てくる。それに、毎回の入札指名業者はいつも同じとは限らない。お役所側の「配慮」で何社かの指名入れ替えがある場合もある。だから、中々上手く行かない事が多い。そうなるとまた話し合いが行われる・・・こんな事ばかりやっていた。バブル期は、どの業者も手持ち工事のストックはたくさんあった。しかし、公共工事も取らなくてはならない。前述した順番制のルールには逆らえない事もある。その回の工事を順番に則って落札業者を決める事になった場合、仮に我社の順番が回ってきてるのに拒否すると、後々厄介な事実を作ってしまうことになる。本当に欲しい工事がある場合、この事実を理由に口撃されてしまう。「お宅、せっかくの機会だったのに降りたじゃないですか・・・欲しい時だけ希望しておかしいじゃないですか?」・・・と。また、その工事の落札希望者だけで話し合いが行われる場合には、仮に忙しくてそんな工事は出来ないっといった状況でも、一応は希望したりする事もある。全部を希望すると、また違った話になるが、「恩に着せる」テクニックも必要になる。「どうしても我社はこの工事が欲しかったけど、貴社の為に今回は辞退させて頂きます」・・・うそでも、このテクニックは必要な事である。つまり「義理の貸し付け」である。この事の積み重ねは、いざ!っと言う時に威力を発揮するのである。我社が本当に欲しい工事があった場合、話がこじれた時の為に用意しておくのである。このような事は、他の業者からみれば一つの実績と認めてもらえ、希望者降しの説得に応援もしてもらえる。もちろんお芝居だとは見破られてはいけない・・・声の大きい業者とは、いつも好意的に付き合いしておくのも、このような事からも必要なのである。またある時は、我社が落札を希望する工事に関して、いつも同じ指名に入ってくる一筋縄ではいかない業者が指名されない時も何度かあった。この時は、自分の持つ「運」にも感謝した。談合は、各業者が腹の探り合いをし、偽善者ぶり、交渉していく・・・これが公共事業を行うための営業工作とも言う人がいた。また、必要悪とも唱える人もいた・・・適切な利益を確保してこそ、経済は適切に回る・・・「適切」とは一体なにか?今、思い出しても、私はよくわからないでいる。閉塞感が漂う今の日本経済・・・しかし、あの頃は我社も今のように苦しい経営内容ではなかった。毎日が忙しく、そして当たり前のように贅沢もした。「適切」に日本経済を回すには国民一人一人に、その意志が必要だと思っていた。そのように思うと、日常のように行われていた「談合」という行為・・・不思議な体験だった。国民の血税を踏みにじる明らかな犯罪行為・・・自己中心的思想を他人に認めさせる行為・・・ゲームとも似つかわしくも、自らが社会に存在するために必要だったと思しき行為・・・そのような渦中にいた自分が不思議に思える。今も思い出すたびに、自分の行為がとんでもなく間違いであった・・・とは、正直反省できないでもいる・・・談合行為を、古き良き時代と解釈してしまっている自分がいる・・・不渡り二回を出し、全ての官公庁から入札参加停止処分を受けた今・・・新しい営業戦略を模索する今・・・これらの記憶は、ある意味、私の足かせにもなっている。過去の呪縛を自らの手によって解き放つのは、まだ少し時間がかかるかも知れない。そして、その公共工事の物件に関して、落札予定業者が、指名された各業者に異議無く了承されると、いよいよ入札日に向けて準備を行うのである。続きは、また・・・