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嗟乎(ああ)、俗に在って道を障(ふさぐ)ること
妻子尤(もっと)も甚(はなはだ)し 道家の重累は 弟子是れ魔なり 弘法大師空海著『高野雑筆集(こうやざっぴつしゅう)』 『高野雑筆集』は、空海の遺文のうち、とくに書簡類(おてがみ)を集めたもので、空海さまの交友関係や、活動状況がわかる、とても読みやすいものです。 最近、「空海さまの本をよみたいのですが、おすすめ本はありますか」という質問をたくさん受けるようになりました。空海本、密教本はピンからキリまでありますし、トンデモ本も多数あります。 きちんと学びたいなら、まず、加藤精一先生の『空海入門』(大蔵出版)をおすすめします。 また、直接、原典にあたりたいのなら、いきなり著作を読むのではなく、『性霊集』や、この『高野雑筆集』などの書簡類(おてがみ)から読まれると、よろしいかと思います。 ああ、ひとはみな、妻子への思いから、道を誤(あやま)り、 出家したひとは、弟子への愛情で、道を誤る。 それは、足かせのようなものである なんとも、人間くさい、空海様のおことばです。 このように、空海様のお手紙類は、とても読みやすく、 そして親しみやすいものが多いのです。 『徒然草』第九十七段にも、 「その物に付きて、その物をつひやし損(そこな)ふ物、数を知らずあり。身に蝨(しらみ)あり。家に鼠(ねずみ)あり。国に賊(どろぼう)あり。小人に財(こがね)あり。君子に仁義あり。僧に法あり。」 という有名な一節があります。 小人物は、なまじ小金を持つと身を滅ぼす。 それと同じ様に、まじめな人は仁義によって滅び、 僧侶は、その信仰によって滅びる。 教えを守ることは大切だけれども、教えに、とらわれすぎてもいけないよ、という戒(いまし)めであります。 まあ、今日、わたし、久々に夫婦ゲンカしたので、こんなこと書いているんですけどね。いや、めったにしないんですよ、ホント。 ふだんえらそうなこと言ってますけど、自分の妻となると、やっぱり、期待値が高い分、いろいろ雑念が出てしまいますよね。 でも、空海さまに、「まあ、そういうもんだよ」と言っていただけると、すこし、ほっとします。 子供は、ほとけさまからのお預かりものだと思っていますので、自分の方針に従わせたいとか、あまり考えません。誰の言葉だったか、「長ーいホームステイ」のお客様だと思うといい、といわれたことがあります。 妻子は、自分の鏡です。 とくに子供には、本当に、教えられることが多いです。 妻には。。。すいません、と、寝顔にあやまっておこう。 今日は、反省文になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月14日 04時50分23秒
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