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最澄。最も澄んだひと。美しい名前である。
最澄は、唐の天台山に向かう。天台山とは、天台教学の聖地である。最澄はそこの国清寺で、一ヶ月ほど滞在する間に、座主(ざす)より正統な法門を継承した。また、台州では天台山修禅寺の座主から、菩薩戒まで授かった。現地で雇った工人に経典を写経させる、その数、百二十部三百四十五巻。 在唐一年の期限はあっという間に終わりに近づく。 すべて、順調、予定通りである。長安で、帰国の仕度を整えている遣唐使団と合流。 予定では、このまま、最澄は、天台教学を日本に持ち帰るだけだった。 しかし、このとき、天が、命運を変える。 最澄ら一団は、このまま、日本に帰るはずだった。 しかし、「風」が、うまいぐあいに吹かない。 そこで、最澄は、日本に向けて航海するのにふさわしい「風」が吹き始めるまで、明州の浜にて「風待ち」。一ヶ月ほど、待機することになった。 予定では、もう、これ以上、最澄には、日本に持ち帰るものはなかった。 十分だった。 しかし、一ヶ月の間、ただ、ぼーっとしているのも仕方ない。 風待ちが一ヶ月間ということを知らされた最澄は、 明州から近い、龍興寺を訪ねる。 そこで、最澄は、「密教」を学ぶ。 「ふうん、意外といいじゃないか、密教。」 当時、唐では、圧倒的ないきおいで、密教が広まっていた。まさに、成長カーブでいうところの、「密教成熟期」にあった。こんなに流行している「密教」だ。一ヶ月といえど、学んで損は無い。 最澄は、天台の一乗思想の一部として、密教を加えようと考え、龍興寺の順暁(じゅんぎょう)和尚の指導のもと、密教経典を百五十巻、書写した。 一ヶ月が経った。最澄は、意気揚揚と、帰国の船に乗り込んだ。 一方、同時期、無名の空海。 無事、長安に入った空海は、長安城内、西明寺で、ひたすら、梵語(サンスクリット語)を学んでいた。 とにかく、読む、読む、読む! 読みまくる! 四ヶ月、空海、篭(こも)りっきりである。 梵語を完璧にマスターした。得意の速読を使い、最新の経典、教学を読みきった。 「よし」 空海、ようやく、書物の蔵の中から、外へ姿をあらわした。 「う~ん」 空海は、おおきく、伸びをした。 こもりきりだつた割に、その表情は、さわやかである。 空海は、つぶやいた。 「密教の、理屈はわかった。梵語も、唐の言葉も完全にマスターした。しかし、密教、奥が深い。直接、密教のトップに会いにゆこう。」 インプットはおわった。あとは、実践のみである。 空海、三十二歳。 さわやかな風が、空海を包んでいた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年06月14日 13時18分09秒
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