ほんわか介護とほんわか心

2005/10/04(火)19:53

黒沢さんと黒犬のビー 続き

連載小説(17)

「そんな事じゃないかと思った。」  と黒沢さんがいうと、ロレヤルは体制を立て直して言い返した。 「ああ、そうだよ。あんな大飯喰らいの犬にやる餌なんかありませんよ。うちは黒沢さんのようなお大尽じゃありませんからね。」  ロレヤルの毛も逆立つ程の剣幕に黒沢さんも負けてはいない。 「Bが何か悪い事をしましたか。お宅の役に充分たっているでしょう。番犬にもなるし、子供達の面倒も見るし、ちゃんと餌を上げて下さい。」 「だから、家みたいな貧乏人にはあんな大きな犬は飼えないんですよ。子供達もね、あんな陰気な犬は嫌いだって言ってるんですよ。なあ、いっちゃん。」  奥に入りそびれていた娘に言った。娘はうなづいた。 「うん、あたし、B、臭いから嫌い。」  臭いのも、汚いのも飼い主の手入れが悪いからに他ならない。邪魔になったからって餌をやらないことがあるだろうか。黒沢さんは怒りに体が震える。かけたくもないパーマをかけにきて、この有り様だ。 「わかりました。私が餌を上げます。」 「え、黒沢さんが餌をあげるって。」 「ええ、ええ私が預かります。じゃ、これで」 黒沢さんは首にかけられたビニールを引き剥がすと立ち上がった。 「あら、パーマがまだ。」 「もう、結構です」 「でも、ブラシをかけたし。」 とロレヤルが食い下がる。 「お金は払います。はい、ブラシ代」  と財布からなにがしかの金を出すとロレヤルの手に握らせた。 「Bは連れて帰りますからね。」  表に出ると店と隣の家の間の人が一人通れる程の幅の暗い路地を覗きこんだ。路地の幅一杯にBが横たわっていた。死んでいるようにぴくりともせずに横になっていた。 「B、びー」と黒沢さんが声をかけるとむくりと首を起こした。Bはゆっくりと尻尾を左右に揺らした。愛想に振っているつもりなのだ。 「B、こっちにおいで」 Bは繋がれていない。いつもこの路地に寝そべっている。からだをゆっくりと起こして、黒沢さんの方へ歩いてきた。体が少し揺れていた。 「B、私の家においで、うちで暮らそう。」 Bは黒沢さんの言葉が分かったのか、差し出している黒沢さんの手をなめた。黒沢さんが立ち上がり、歩きだすとBは少し迷った風だったが、歩きだした。だが、少し立って黒沢さんが振り向くとBはロレヤルパーマ店を振り返っていた。誰かが出て来ないかと待っているようであった。黒沢さんは辛抱強く待った。パーマ店の中で人の動く気配がしていたが、誰も出て来なかった。そうしていると、兄の方が戻って来た。黒沢さんとBが立っているのを見て、少し驚いたようだったが、何も言わず、店の中に入っていった。それであきらめたのか、Bは黒沢さんの手をまた嘗めた。そして先に立って歩きだした。Bは黒沢さんの家を知っているのだろうか。しかし、少し行くと不安気に立ち止まり、黒沢さんの後ろについた。 店の中ではロレヤルの女主人がそっと外の様子を伺っていた。 「やれやれ、やっと行ったね。ブラシ代とか言っていたけれど幾らくれたのかね。なんだい二百円かい。パーマ代貰えばよかったね。あたしも存外人がいいね。まあ、いいいか、やっかい払いしたんだから。」 と横に立った息子に言った。 「どうしたんだ。」 「黒沢の婆あがBを飼うってさ。猫好きの物好き婆あが、犬も飼うってさ。」と笑った。 「ふーん。」 息子はそれ以上の感想も述べず、奥に入ろうとしていた。 「ねえ、今度は小っちゃくて、毛の長い犬を飼おうか。白いのがいいかい。茶色の耳の垂れたのがいいかい。」 「犬なんかもういらねえよ。ちっちゃいのはキャンキャンうるせえだけだぜ。」 息子の声の最後は奥からくぐもって聞こえてきた。 と、これは鍵辰が実はロレヤル本人から聞いた話であった。早速聞き込みに行って、伊勢屋にわざわざ知らせに来たのだった。伊勢屋は鍵辰の物好きと黒沢さんの動物好きにいたく感心した。 黒沢さんがBを家に連れていくと、今日は表に鍵をかけてついてこないようにした黒猫の菫が飛び出してきた。菫は大きな黒犬のBを見るとぎょっとしたように立ち止まった。Bは玄関の三和土に座りこんだ。すっかり疲れているようだった。黒沢さんは、この家唯一の贅沢品の電気冷蔵庫の中から、朝の牛乳を出すと大きな器に入れ、Bの横に置いた。黒沢さんは猫を飼いはじめてから牛乳を新鮮に保存するために贅沢とは思いながら、キャンプのPXに働いている近所の人に頼んでアメリカの電気冷蔵庫を買い求めたのだった。そんな贅沢な入れ物に仕舞っていた牛乳なのに、Bは一口嘗めただけだった。猫の菫がおそるおそる近寄って、器に首を差し入れるのを見つめていた。菫が牛乳を嘗めはじめても吠えもせず、菫の様子を見ていた。黒沢さんは牛乳の器をとりあげ鍋に写しかえた。子供が病気の時に作る、牛乳のパン粥にしてみようと思ったのだった。コッペパンをちぎり鍋に入れ、ゆるい火でとろとろ煮て、さましてからBにやってみた。今度は少し食べた。菫が又首をつっこもうとすると、すこし場所を譲り、二匹で食べ始めた。菫とBは古くからの友人のように見えた。

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