ほんわか介護とほんわか心

2006/09/22(金)18:47

そうかもしれない

ほんわか介護、認知症とつきあう(122)

今朝、NHKの生活ホットモーニングという番組に雪村いずみさんが出演されていました。 映画「そうかもしれない」の一般公開を控えての出演でしょう。 いずみさんといえば、美空ひばり、江利チエミとの3人娘として有名でした。お二人は亡くなり、今はいずみさんが2人の分までがんばっているようです。 「そうかもしれない」は私小説作家の耕治人の実際に妻を介護した経験を元にした小説です。保坂延彦監督が映画化いたしました。 原作もよまず、いまだ映画もきちんと見ていないでもコメントですが・・。 テレビで予告編を見せていただきましたので・・。 見に来ますときっと感動しちゃうだろうと思います。 折り梅もじわじわと人気の映画ですが、きっとこの映画もじわじわと人気となるでしょう。 いずみさんは認知症の高齢者の表情をよく研究されています。 体当たりの演技はすばらしい。演技のとき何も考えていないとおっしゃっていましたが、認知症のかたにはたしかに何も考えてない人もいます。一生懸命考えて、何か答えようと努力する人もいます。ですから、認知症だといってもあのような、何も考えていない表情はいつでものことではありません。 この方があなたのご主人ですよと言われて「そうかもしれない」と言った言葉が題名となり、ラストシーンとなっています。 そうかもしれない・・とはきっとご主人を認知したのでしょう。認めたということです。 皮肉な見方をいたしますと、これは介護したご主人からみた奥様と自分との関係です。 愛し合っていた・・、もしくは心がつながっていたと思いがちですが、すれ違っていたかもしれません。本当に愛している人、大事な人はなかなか忘れません。たいてい、いつまでも記憶が残っているのは実の息子や娘です。 あんた誰・・。と言うときはこちらの心が鬼になっているときです。 やさしい気持ちでせっし、怒らないようにすると、娘、息子と思い出してもらえます。愛している人を100%忘れることはありません。 だからおもらしをしてその始末をするご主人に、「何のご縁で、あなたにこんな事をしていただくのでしょう。」と感謝しながらご主人にいいます。いわれたご主人はショックだったから、小説にも書き、映画のワンシーンにもなっています。 おもらしは特別なことではありません。何かで排泄のチャンスを失うと健常人にも起こる現象です。 おもらしをしたとき、誰もが恥ずかしく思います。始末をしてもらうと、謝ったりいたします。認知症の方でも、恥ずかしいと強く思います。恥ずかしい思いをさせないよう、早めにサインを気付く必要があるでしょう。 奥様が認知症だと気付かれたときはかなり進んでいる状態のようです。もっと早くに異変がキャッチできなかったのか・・。とか思います。 夫婦はあうんの呼吸で寄り添い助け合って生きてきたと紹介されがちですが、ひっくり返すと、会話が少ない、相手をよく見ていない。妻は黙って後からついてくるものとと思っていたのが、人生の最後にきてしっぺ返しをされたようです。 夫は妻を理解していると思っていました。妻はそうではない、自分はここにいるのよ・・。とサインを送っていましたが、気付いてもらえないうちに相手の望む自分になり、結局自分自身を失ってしまった。・・認知症になってしまった。 奥様は認知症で、自分も癌で入院することになり、奥様を特養へ、自分は病院へと離ればなれとなりました。 しばらくぶりに病院へ奥様が介助を受けながらお見舞いに来るシーンで「そうかもしれない」といいます。 じっさい本編を見ていないのですが、認知症を題材とした映画では特筆といってもいい・・と思いました。 9月30日から公開されます。 認知症予防にはいつも何か考えている必要があります。自己実現を幾つになっても続けていく・・。すると認知症になっている暇がないかもしれません。

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