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HP de るってんしゃん

映画化について

 『世界の中心で、愛をさけぶ』の映画化が決まったが、どうやら映画の脚本は、原作とはだいぶ変えているらしい。発表済みのあらすじはこちら。

主人公の松本朔太郎は婚約者の律子との結婚を控えていたが、突如として律子が姿を消してしまう。朔太郎は失跡の理由が自分にあると考える。朔太郎は高校時代に恋人を病気で失って以来、ずっと大きな喪失感を抱き続けていた。その心模様を、律子に知られてしまったからだ。朔太郎は過去と決別できるのか。律子との愛の行方は―。

主人公、松本朔太郎は大沢たかお。
その婚約者、律子には柴咲コウ。
回想シーンとして映像化される高校時代の朔太郎は森山未來。
病死する恋人には長澤まさみ。
過去と現在の時間を結ぶ“時の番人”重蔵に山崎努。


 私が初めて読んだ映画のあらすじ。「朔太郎は過去と決別できるのか」、はっきり言って腹が立つ。過去と決別できるのか?なんて、つまり過去と決別しますって言ってるのと同じじゃないか。いかに邪魔者の過去を捨てれるか。過去を捨てる過程として回想するというだけ。観客は主人公が過去を捨てることを応援する立場。しかも「アキ」という名前すら出てこない!そして朔太郎の祖父は出ないのだろうか。その代わりとも言える“時の番人”って一体?私は、回想シーンの軽い扱いを残念に思った。

脚本は坂元裕二と行定監督とが共同執筆。行定監督は「シンプルな物語ですが、見る方に共感してもらえる場面が、いくつもあると思う」と、ヒットに自信を示す。

 あらすじを読んで分かる通り、最後、つまり第5章の部分がクローズアップされるらしい。「ラストについて」にも書いているが、私は第5章に不満がある。なのに、よりによって映画は第5章がメイン・・・。映画を楽しむ為に原作本を読んだというのに。脚本に片山恭一は関わっていない。映画を撮る上では脚本家がモノを言う。確かに映画化するならば、大人になってからを重要視するのも無理はない。主役は必ずあたる者にやらせたい。原作のままでは子役が主役。映画をヒットさせるには、演技のできる知名度の高い役者を。柴咲コウなんて使うだけで宣伝効果は抜群だ。原作本の帯のこともあるし?もしかして、挿入歌まで歌うかも。大人の恋愛映画の方が確実に売れる。確かに、マネージメント的には正解だろう。しかし、私は、第5章の朔太郎は未来の朔太郎として扱ったので十分だと思う。回想シーンの朔太郎を主役として、アキをヒロインとして、原作に近い状態で映画を撮って欲しかった。

 ところが、先日確かめると、上記のあらすじは消されており、別の文章に変わっていた。新しい、あらすじのイントロダクションはこちら。

十数年前。高校時代。恋人の死。
――初恋の女性を失った青年が抱えてきた「喪失感」
そんな彼を愛した婚約者。
二人の愛は未来に踏み出すことができるのか…
過去の甘く淡い恋と、現在の愛の葛藤を描く「せつない」純愛映画。


 これなら、何も反論はできない。明るいイメージで、表現も曖昧にやわらかく、そつがない。詳しいあらすじもあるのだが、詳しすぎて話が丸分かりなので、ここに載せることはやめておく。このあらすじは、知らない方が映画をより楽しめるような気がするからだ。私は、この映画を本当に楽しみにしている。森山未來と長澤まさみが、あの朔太郎とアキを演じてくれることも嬉しい。だから、原作本も読んだ。だけど、この映画を見る時は、原作のことを忘れた方がいいだろう。私も、みんなも。そんな気がする。


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