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HP de るってんしゃん

卒論ダイジェスト版

「伊坂幸太郎 論」


<目次>

はじめに

第一章 動物と人間  
             第一節 動物
             第二節 善悪
第二章 犯罪で人間  
             第一節 罪と罰
             第二節 ルール
第三章 神様を人間  
             第一節 神様
             第二節 奇跡
第四章 伊坂の世界  
             第一節 人気度
             第二節 リンク
おわりに

特大付録 伊坂幸太郎年譜



<はじめに>

 大抵のミステリー小説は、ジグソーパズルに譬えられる。しかし、伊坂幸太郎の小説をそのように言ってしまうのはどうも物足りない。時系列のズレ、複数の視点、多くの伏線とリンク、それらがピタリと上手く組み合わさった時のこの上ない爽快感。伊坂幸太郎のミステリー小説は、ルービックキューブであると私は考える。二〇〇〇年に『オーデュボンの祈り』でデビューした伊坂幸太郎は、各種の小説関連ランキングの上位常連者で、読者層は幅広く、「この作家の新刊だけは必ず買おうと思わせる数少ない作家」と言われている人気急上昇中の若手作家である。本論文では、大ブレイクを直前に控えた伊坂幸太郎の世界を、二〇〇〇年から二〇〇六年に発表された全ての作品を踏まえて追究していきたい。伊坂作品には特徴的なキーワードがいくつもあるのだが、ここでは基本となる四つのテーマに絞って論じていく。


第一章 動物と人間

第一節 動物     「おまえさ、人としじみのどっちが偉いか知ってるか」

 伊坂作品には数え切れないほど多くの動物が登場しており、全作品を通して「動物愛護」の精神に満ちていると言える。デビュー作『オーデュボンの祈り』では虐殺による動物の絶滅、『アヒルと鴨のコインロッカー』では動物虐待を取り上げ、現実社会にある問題へと迫った。登場した作品数が最も多い動物は犬。次いで猫、鳥である。全単行本中、犬に言及されない作品は一作もなく、外見・性格が犬に似ているという人物も多数登場する。また題名では、『アヒルと鴨のコインロッカー』はアヒルと鴨の違いと登場人物の関係を、『グラスホッパー』は「飛びバッタ」=「殺し屋」のイメージを表現した。
 『グラスホッパー』では、蝉が死ぬ間際に岩西と「しじみ」について会話する場面が印象的である。蝉はその中で「人間がいてくれて良かった、なんて誰も思ってねえよ、人間以外はな」と言う。人間は他の命を殺して食って生きている。それを自覚せずに生きていてよいのだろうか。人間は本当に地球上で一番偉い動物だと言えるのか。人間関係に悩む前に人間と動物の関係について悩んでみたらどうなんだ。伊坂作品は我々に問いかけている。


第二節 善悪     「人間の最大の欠点の一つは、分をわきまえないこと」

 伊坂作品の中で登場人物たちはよく人間についての定義を口にしている。彼らは自分自身が人間であるにもかかわらず、人間の悪い部分を鋭く客観的に見つめ、深く理解している。伊坂幸太郎は、人間を絶対的な存在として描かない。人間を「動物の中の人間」という相対的な立場に置き、決して特別扱いをしないのだ。『オーデュボンの祈り』では、伊藤の祖母が「人間の悪い部分は、動物と異なる部分すべてだ。音楽なんて聴くのは人間くらいのもんだ」と言う。これを聞いただけではまるで音楽否定者のように思えるかもしれないが、そんなことはない。伊坂作品には、楽器・名曲・ミュージシャンなど多くの音楽が登場する。それは、音楽を「人間の象徴」として捉えているからである。例えば『オーデュボンの祈り』では静香がサックスを吹いて自らの存在を確認しようとし、『ラッシュライフ』では豊田が「HERE COMES THE SUN」を繰り返し聴いて心の不安感を取り除こうとした。『死神の精度』に登場する死神がミュージックを好んでいるのも、天使よりも死神の方が人間の生きる姿に近いところにいるからなのかもしれない。


第二章 犯罪で人間

第一節 罪と罰    「死に物狂いで生きるのは、権利じゃなくて、義務だ」

 伊坂作品には、「犯罪者」とは別に「悪者」と言うべき人物がほぼ毎回登場する。犯罪者が「法律上の罪を犯した者」と行動の結果だけを見られるのに対して、ここでの悪者とは「悪意を持つ者」のことである。伊坂作品の犯罪者にはむしろ善人ではないかと思える者や妙にあっけらかんとしている者が多いが、悪者には警察官や社長御曹司など地位は高いがリスクのない暴力を振るう者が多い。そしてその悪意に満ちた人間を決して野放しにしないのが伊坂作品の特徴である。最終的に、悪者には必ず「罰」を与える。その方法に「死」が取られることも少なくない。伊坂作品は「勧善懲悪の物語」である。中には復讐の話も多く、「人間が人間を罰する」というスタンスを取っている。しかし、伊坂作品は「死」をもって罰することはよしとしても、「死」をよしとしているのではない。『終末のフール』で、昔いじめを受けて自殺を考えた渡部に父親は、人生を山に譬えて「登れる限りは登れ」と吐き捨てる。つまり「生きる道があるかぎり、生きろ」ということだ。伊坂作品は、何があっても「とりあえず生きようか」と根拠なく思える力を書いている。


第二節 ルール    「多数決と法律は、重要なことに限って、役立たず」

 犯罪がよく起こる伊坂作品は法律と常に密接な関係にある。登場人物がよく法律がないことを言い訳に使うのも特徴だ。また、書き置きを残す泥棒の黒澤、ジンクスを守る春など、他の人からは理解されない独自のルールに基づいて行動する人物もたびたび登場する。彼らは時おり人から変わり者だと認識されるが、ただ自分のルールを信じて生きているだけである。
 『アヒルと鴨のコインロッカー』で椎名は「法律が正しいって決まってるのかよ」と自問自答し、『砂漠』で西嶋は「法律が人とか世界を救うとは限らないんですよ」と訴える。法律は、誰かの作ったルールにすぎない。ただのルールが人間を救えるのか。誰かを救いたいと本気で願うのならば、時には法律を飛び越えるくらいの勇気もいるのではないか。伊坂作品は、結果的にその行為が「犯罪」と呼ばれても、全てを覚悟した上で大切な人を救うためにルールを逸脱する道を選んだのならば、それは同じ理由でルールを必死で守ろうとした者と同じくらい、人間として意味があるのだと言っている。


第三章 神様を人間

第一節 神様     「未来は神様のレシピで決まる」

 伊坂作品には、「神様」という言葉がたびたび出てくる。「フォークの神様」「泥棒の神様」「限定品の神様」「無防備の神様」など実に様々な「神様」があるが、特に「神様のレシピ」は代表的なキーワードだ。この言葉は「運命」とよく似た意味なのだが、伊坂幸太郎はこの言葉で表現することにこだわりを持っている。未来を決めるのは「神様のレシピ」。だからあれこれ悩んでも仕方が無い。安心して、自分の人生を生きなさい、と言っている。
 『ラッシュライフ』で、タダシと青山は「日本人は都合のいい時だけ神をでっち上げて、祈るそうですよ」「困るとみんな神様が見えるんだよ」と話している。結局のところ、「神様」は人間が作り上げているに過ぎない。『魔王』で、安藤は「形がないのに、壊れてしまうもの、なーんだ」というクイズを思い出す。答えは「人の心」だ。人間は、強いようでやはり弱い。だから神様を作る。不安を感じていた登場人物が「神様のレシピ」という言葉を聞くと、急に心の荷が降りた様子なるのはそのためだろう。


第二節 奇跡     「砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」

 伊坂幸太郎が描く登場人物は、断定的な口調で喋ることが多い。彼らが口にする言葉には、「根拠」は無いが「自信」がある。そして彼らは「奇跡」を起こそうとする者であることが多い。伊坂作品は「奇跡の物語」だ。しかし起きるのは大きく派手な奇跡ではなく、日常にありえるレベルのささやかな奇跡である。他人から見たら分からないくらいの小さな奇跡。けれど、その人の今後の人生に光を照らす明るい奇跡。伊坂幸太郎は、「スポットライトの奇跡」を描いている。それは「何でも都合良くいく話」という意味ではない。主要人物が亡くなることもあり、毎回ハッピーエンドだとも限らない。伊坂作品の「奇跡」はいつも「絶望」と隣り合わせである。絶望があって奇跡が起きる。伊坂作品は「起死回生の物語」でもあるのだ。断定的な口調で喋る登場人物たちは、陰で努力をして、大切な人のために時々ささやかな奇跡を起こす。人間は、神様じゃない。だからこそできることがある。伊坂作品の「奇跡」は、神様が与えてくれるのをただ待つものではなく、人間が、馬鹿馬鹿しいと言われながらも一生懸命生きることで起こすものなのである。


第四章 伊坂の世界

第一節 人気度    「不安をともなわない自信は、偽者だ」

 伊坂作品に駄作はないと読者から言われているが、伊坂作品内だけで見てみると、作品別の人気度に大きな差がある。ネット上には伊坂作品について意見を述べた掲示板、アンケート、ランキングなどが数多く存在しているが、いずれも『グラスホッパー』と『魔王』の人気だけが極端に低い。そこで、伊坂作品の内容の区分をマトリクスで表わした(図1参照)。これを見ると、伊坂作品は「ダーク・ファンタジー」と「ライト・リアル」に偏っていることが分かる。『グラスホッパー』と『魔王』の人気が低いのは、この作品を出した順番が理由ではないだろうか。読者は、二作目から六作目まで立て続けに「ライト・リアル」の作品を読んだことで、伊坂作品へのイメージが固まってしまった。そこに「ダーク」色の強い『グラスホッパー』と『魔王』が来たので違和感を抱いたのだ。その証拠に、初めて読んだ伊坂作品、もしくは早い段階で読んだ作品がこれらだという読者からは、「全く違和感はない」という声を聞く。「ダーク・ファンタジー」の『オーデュボンの祈り』から出発し、「ライト・リアル」を経て、再び「ダーク・ファンタジー」へと帰還した伊坂幸太郎の世界は、徐々に幅を広げている。

              図1 : 伊坂作品の内容マトリクス
  内<br />
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容マトリクス1.jpg


第二節 リンク    「今日の私の一日が、別の人の次の一日に繋がる」

 伊坂幸太郎の本を手放す読者は、大変少ない。今や絶版となっている単行本版『オーデュボンの祈り』を探した時に受けた印象である。伊坂作品が読者を惹きつけ続けるその理由は、独創的な内容と個性的な登場人物、鮮やかな伏線処理と軽妙洒脱で読後感の良い文章、そして「リンク」である。伊坂作品は一つ一つが独立していると同時に、登場人物やエピソード、キーワードが他の作品と相互に関連しながら、全作品で一つの大きな世界を創造している。リンクのない作品は今のところ一作もなく、ある作品で主人公だった人物が別の作品では脇役として通り過ぎたりすることも珍しくない。作品を読んでいてリンクを新たに発見した時の喜びとちょっと得した気分は、伊坂作品を読み続けている者だけが味わえるご褒美である。『ラッシュライフ』で佐々岡は「人生はきっと誰かにバトンを渡すためにあるんだ」と言う。伊坂作品は、登場人物たちが作品の中でバトンをつなぎ、作品同士でも互いにバトンを渡し合い、そして読者にバトンをつなぐ。リンクに満ちた伊坂幸太郎の世界は、今も回り続けている。読者の楽しみはまだまだ尽きない。


<おわりに>

 四つのテーマを掲げて伊坂幸太郎の世界を考察してきたが、伊坂作品の魅力を本論文で十分に語り尽くしたとは言えない。伊坂幸太郎は進化し続けている。いずれこの「伊坂幸太郎 論」も、何年後かには「伊坂幸太郎 初期 論」と題名を改めなくてはならなくなるだろう。
 伊坂作品について今後研究していきたい事項を以下に挙げておく。
・構成の特徴 (時系列のズレ・複数の視点・リンクの効果、伏線のパターン)
・文章の特徴 (会話文・引用文・冒頭文・題名・目次、改稿へのこだわり)
・登場人物の特徴 (障害者・芸術家・超能力者・家族・兄弟・名前・モデル)
・教材化の可能性 (四字熟語・諺・比喩表現の多用、過去の試験問題化)
・キーワードの考察 (遺伝子・警察・映画・携帯・嘘・空・仙台と東京・
             裏切りと許し・狂気と受容・思考と想像・孤独と連帯)
 本論文が、伊坂幸太郎研究の先駆けとなれば良いと思う。私もこれをスタートとして、今後も伊坂幸太郎の世界を追究し続けていきたい。


<特大付録> 伊坂幸太郎 年譜 (省略)


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