東博の浮世絵展示室(9/22~)3(3):広重の「京都名所」と「富士」の作品
上野の東京国立博物館(TNM)の本館2階10室での現展示は10月17日までの4週間展示(
展示作品リスト)です。
今回の投稿は展示作品の中から、広重の「京都名所」3作品と肉筆風景画の作品をピックアップしました。
■ 広重の「京都名所」と、「富士」の作品
歌川広重(1797~1858)には、京都の名所を描いた『京都名所』の作品がある。
『京都名所』は、天保5年ごろの作画と見られ、10枚の作品(揃物)で構成されている。
この揃物は、今回展示の3作品『淀川』、『嶋(島)原出口之柳』、『金閣寺』と、『祗園社雪中』、『糺川原之夕立』(ただすがわらのゆうだち)、『あらし山満花』、『四条河原夕涼』、『通天橋ノ紅楓』、『八瀬之里』、『清水』の10作品である。
【参考:神奈川県歴博:京都名所之内
八瀬之里】
◆「広重」:『京都名所之内・
金閣寺』/横大判/錦絵
・この絵は、京都の
金閣寺の愛称で知られる
鹿苑寺(ろくおんじ)を描いた作品。
・
衣笠山(きぬがさやま) をバックに、右手前に金閣(舎利殿)の建物、左に庭園の鏡湖池を描いている。
・池には、現存する葦原島(あしはらじま)が描かれている。なお、葦原島とは、日本列島に見立てた島で、島の名前は、「
豊葦原瑞穂国」(とよあしはらのみずほのくに)に由来する。また、富士山に見立てた岩もある。
・金閣の建物の屋根の上に立っている鳳凰(
今の鳳凰)も描かれている。
・この絵は、『
都(みやこ)名所図会』(墨摺六册本、安永九年刊)の巻六にある
金閣寺の挿絵を参考に作画したようである。
・金閣寺は、
足利義満(よしみつ)が金閣などの建物を造営したのが始まりである。
・金閣寺は、昭和25年に徒弟の放火によって炎上、焼失し、現存する金閣寺は昭和30年に復元された。
・作家の
三島由紀夫(みしまゆきお)の「金閣寺」と、
水上勉(みずかみつとむ)の「金閣炎上」の二つの小説がよく比較される。
◆「広重」:『京都名所之内・
淀川』/横大判/錦絵
・この作品は、『淀川の月』とも呼ばれ、月夜の
淀川を下る船(三十石船)と、月を描いた作品
・客船である
三十石船(さんじっこくぶね)の
真上に満月を描き、当てなしぼかしの雲を摺り入れてある。
・名作として、評価が高い作品である。
・この絵も、『都(みやこ)名所図会』(墨摺六册本、安永九年刊)の巻五にある
淀の挿絵を参考に作画したようである。
(元の作品(挿絵)と比べるてみると、広重の画面構成と表現力の豊かさ、そして視点を変える見る面白さを見いだせる。)
◆「広重」:『京都名所之内・
嶋原出口之柳』/横大判/錦絵
・この絵は、京都の遊郭である
島原の夜の風景を描いた作品。
・廓の建物の上に広がる夜空の雲と、雲の切れ目から見える
三日月がなんとも言えない。
・この絵も、『都(みやこ)名所図会』(墨摺六册本、安永九年刊)の巻二にある
島原の挿絵を参考に作画したようである。(門、柳、三日月など)
・島原の唯一の出入口「島原大門」と、「出口の柳」の様子が感じ取れる作品でもある。
◆「広重」:『
富嶽図』/1幅/絹本着色
・この作品は、富士山を描いた肉筆風景画で、富士の山を奥に描き、手前に浮かぶ帆船を描いている。
・墨の濃淡を基調に描いた作品。
*「歌川広重」:『京都名所之内・淀川』(部分)