3237032 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

放浪の達人ブログ

遺灰は風に・・・

   「遺灰は風に・・・」

インドには「サドゥー」と呼ばれる人達がいる。
ビリビリのオレンジ色の布を身にまとってるだけだし髪の毛は伸び放題、
お気に入りのヒンドゥー教の神様のマークや模様をおデコに書き、
パッと見ると、いや、どこからどう見てもレッキとした乞食というか浮浪者に見える。
しかし彼らは考えがあってそうしてるのだ。

インドの一部の男達はブッダを見習って50歳や60歳を過ぎた頃、
家族から離れて放浪の旅に出る。そしてもう2度と家に戻る事はない。
老後の負担を子供達にさせたくないというのもあるのだろう。
彼らは手ぶらで永遠の旅に出る。そして死ぬまで聖地から聖地を歩いて回る。

俺はバスの中から、あるいは歩いている時、いつもたくさんのサドゥーを見た。
ある者は山間部の崖の上でただ座っていた。
またある者は聖地へ行く途中の道で倒れていた。
聖地で死ぬのが最も幸せとされているので、
弱った身体のサドゥー達は聖地に行けばウヨウヨいる。

日本では家族に看取られて死ぬのが幸せで、
残された家族の負担は保険で何とかなる。
だがインドやネパールなどのアジアの国は保険なんてシステムはない。
役目を終えた中高年の男達は潔く死を選ぶのだ。
日本もそんなシステムにすればいいのかもね、国のためにも。
(なんて書いたら反感買うよな~)

実は俺はそういう生き方というか死に方に憧れている。
病院で延命治療を受けてダラダラ死ぬより、旅の途中で死にたい。
あるいは日本で死んじまっても、骨はアジアの大地に撒いてもらいたいものだ。
日本のジメジメした墓の中に入るなんてゴメンだ。
墓の値段も納骨費も高いしね。

先日、俺は自分の骨を撒いてもらいたいな、と思う場所を見つけた。
ネパールのポカラという街から歩いて9日かかるヒマラヤ山脈の中腹に
カグベニというひっそりとした村がある。
その村で1泊¥45の安宿に泊まり、
下から激しく降りつける猛吹雪を息を殺して見た夜が明け、
翌日は標高4000mの聖地ムクティナートを目指した。
途中に360度が見渡せる見事な台地があった。
ここで俺の遺灰を撒いてもらいたいもんだ、と思ったら
近くに鳥葬の跡があった。
俺と似た事を考える人も現地にいたんだなと思って
思わずニヤリとしちゃったよ。

これを読んだ奥様、ご主人が「ちょっとインドまで」と言ったら
そっと送り出してやって下さい。



死んだらココで遺灰を撒いてね
 <死んだらココで遺灰を撒いてね>


標高4000mの民家
 <標高4000mの民家。じっと春を待つ>
 



© Rakuten Group, Inc.