「花?オメエ勝手に独りで見に行ってこいや」と
常日頃は自然界にさほど興味のない妻が
珍しく「桜を見に行こうよ」と言ったので
それはもう嬉しくなって一緒に出掛けた。
愛犬ルークさんも連れて行った。
川沿いの堤防に延々と咲く河津桜。
西日を浴びてやや逆光の並木道には
チラチラとしか花見客がいなかった。
やはりここは午前中の方が映えるな。
桜はやはり青空がよく似合う。
まだまだ春のはじめの肌寒い風だった。
風が弱かったら堤防に座ってのんびりしたのに。
川辺には風に飛んだ花びらが漂う。
無常観と無常感は似ていても違うものらしい。
まあその違いは検索で調べていただくとして
そんな無常の風景を見るのは切ないような良さがある。
先だって仲良しの同級生の女性が突然亡くなり
お通夜と告別式に参列させていただいたのだが
そういった空虚感というのは心に溜まるものなのか
春なのにウキウキわくわくという感じではないのである。
チャックベリーも先日90歳で死んだ。
キース・リチャーズが先導を切って収録した
「ヘイル ヘイル ロックンロール」というドキュメンタリーで
還暦コンサートの収録をしている際にチャックが
「俺は死なねえよ」と豪語していたのだが
僕らファンもそれを信じていた。
いや、人がいずれ死ぬというのは分かっている。
でも現実として想像出来なかったのである。
それよりも驚いたのが、そのライヴが発表されたのが1986年。
発売と同時にビデオを買って観たのだが
気付けばあれから30年が経っていたのである。
15年ぐらい前だと思っていたのに30年も過ぎていた。
時の流れの早さはまさに無情。
無常でもあるがこの場合は無情。
あっという間の30年。
30年後、僕はもうこの世にいないだろう。
この世で残された時間はあと僅かなのである。
人の死によって人生の短さを悟る。
僕はそういった無常と無情と共に花を見上げている。
さて、ルークさんの運転で帰宅。
自宅の中庭では沈丁花が甘い匂いを漂わせている。
椿の花も咲き始めていよいよ春本番も近い。
この甘い匂いをあと何年嗅げるのだろうかと思いつつ
新しい息吹を見つけては淋しくニヤニヤ笑ったりしている。