最近観た映画から
リハビリのため、午前と午後、30分ずつエアロバイクを漕いでいます。その間の供は、アマゾンプライムの映画。先日は「黄金のアデーレ 名画の帰還」についてメモを記しました。今日観終えたのは「プロデューサーズ」。これはひと言でいうなら、テンションが異様に高い人たちによって演じられるドタバタミュージカル。個人的にはユマ・サーマンのはじけっぷりが素敵でした。この2本について、ちょっと思ったことを記しておきたいと思います。前者は、歴史と真摯に向き合った、静謐な中にエネルギーを秘めた映画。後者は、ほとんど病的なまでに躁状態が続くお祭り映画。対照的です。後者は、はじめ、出演者たちの無駄に高いテンションに圧倒され、観るのを止めようと思ったほどでした。でも、最後まで気持ちよく観ることができた。なぜか。ミュージカルは、その淵源をたぶんオペラというよりオペレッタに探ることができそうですが、ショービジネスとして確立したのはブロードウェイであり、さらに映画というジャンルにおいても成り立たせたのはおそらくハリウッドではないかと思っています。そうした中で、自ずと、「ミュージカルの文法」が育まれていった。そして、それをいわば「型」として踏襲しつつ、様々な形で展開していった。「プロデューサーズ」は、一歩間違えば俗悪な作品にすぎませんが、それを免れているのは、そうした「文法」をしっかりと押さえているから。「変わらない」ものやことをとても大切にしていると言いかえてもよさそうです。その点で、「黄金のアデーレ」が重なってきます。主人公が、本当は戻りたくなかった故郷ウィーンに戻る。そこには、所有者も目的も変わったものの、建物それ自体は、戦中と変わりなく残っていました。いや、それはもっと昔にまでさかのぼることができるはずです。あの建物からそれこそフェルメールやクリムトが出てきても不思議には感じません。まさに変わらない建物、変わらない街並み。そしてそれ自体が、過去に真摯に向き合う姿勢を促すことに繋がっているのではと思われます。翻ってこの国はどうか。もちろん、「変わらない」ものが大切にされていることは確かでしょう。百年単位で続く「老舗」が一番多く存在するのは日本にほかなりません。それでは、文化においてはどうか。古典芸能(人気再燃の漫才も含め)などは「型」を受け継ぎつつ現代を生き生きと体現しています。そうしたものは他にもたくさんあるでしょう。でも、今「伝統」と呼ばれているものの中には、近代以降に、主に商業的な目的で作り出されたものが少なくありません。「七五三」などはその典型ですよね。それを古くからの伝統だと思いなしてしまうとしたら、それだけ「伝統」というもの、「変わらない」ことに対する意識が低いということになりはしないだろうか。SNSの発達・浸透により、ますます刹那的、脊髄反射的な言説が増えていっているように感じます。「文化」は何も凍結すべきではない、常に活性化する必要がある。しかし、その中で「変わらない」もの、「守るべきもの」があるし、そうしたものへの意識を高く持つべきではないかと思うのです。そうしたものにしっかりと目を凝らさず、目先の享楽的な面ばかりを求めていていいのだろうか。せっかく楽しめる映画に出会いながら、こんな、無粋なことを考えてしまいました。