潔く老いていく心構えを持ちたい
最近シワが。特に首筋に縦のシワ。いわゆる鶏の首みたいな。ついについに・・・老人に足を踏み入れたって感じ。でも、抗うことはできない。誰もが老いて、徐々に死んでいくんだもんね。良く不老不死とかいうけど、わたしはそれは望まない。というか、もしそうなったらと思うと空恐ろしい。漫画「ポーの一族」や、映画「モールス」(「ぼくのエリ 200歳の少女」のリメイクの方しか観てない)で、つくづくそう思った。大事な人はどんどん死んでいき、知らない人ばかりの世界に、永遠に取り残されていくなんて。それより、死んだら地球の一部になって、花の栄養や海の生物のエサになりたいな。でも、問題は死ぬ前なのよね、どう老いて行けるのだろう。努力ではどうにも出来ない事も多いし、でも多少は変わることもありそう。若作りはしないけど、昨今は派手でも着たい服を堂々と着られるのが老人じゃないかと言う気もする。派手な色、形、柄・・・似合っていれば許される。むしろ、似合うかどうかがハッキリして、選びやすくなるように思う。なんか、楽しみでもある。ってか、すでにその辺はずうずうしくそうなってきてる。私にとって昭和は若いとき平成は中年期令和は老年ってことになるかしら。でも、まだまだ。令和を楽しんで、いい時代だと言えるといいな。若い人は、やはり余り奇抜だと、単にソウイウヒトって見られてしまうし、どうしたって流行も、同年代の女性と男性の目も意識するしね。でもこちとら、そういうのノープロブレムよ。ヨガや、池田体操では、足の指を動かしたり、グーパーチョキをして動かし、指先の神経を意識することを勧められるけど、そういう毎日の積み重ねも、効果があるかもしれないし。食事も。個人的には、アルミ鍋はもう30年ほどほとんど使ってない。アルミは数百度で溶け出すと聞くし、その蓄積が脳にどう影響するかハッキリしないので・・・まあ、できることはするけど、何かを止められる訳ではない気もする・・・いずれ・・・介護する側でも、介護される側でも、何よりその時を楽しむ事が大事だなと思ってる。介護する側は、介護されてる人が文句を言ったら辛いだけ。介護される人が、痛みなどを訴えていても、時折笑顔で楽しんでいたら、自分も楽しい時間を過ごせると思うから。介護されて申し訳ないと思う時であっても、「悪いわね・・・」ばかりじゃなく、「ああ、楽しい、面白いね」って言って生きられたらいいね。