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テーマ:暮らしを楽しむ(383606)
カテゴリ:人生ケセラセラ
この頃になって、生き辛さを感じて生きるって言葉を良く聞くようになってきた。
そうだったんだね。 そういう人って、めったにいないのかと思ってた。 子供の頃には、周りの子は皆素直で率直で、思ったそのまんまストレートに生きてるのに、 自分だけこそこそっと、自分をまげて、周りの真似して普通の子供として紛れ込もうと、必死に頑張ってきた気がする。 理屈では、自分だけが周りとそんなに違うなんてはずはないと、わかってはいるのだけど、 どうもうまく学校や集団生活で、足並みをそろえられないし、 そもそも集団が全然楽しくない。 自由気ままに、勝手に自分のしたいことを自分のペースでできたらいいのに・・・ って思い、そんなこと許されないとわかってもいた。 きっと、そういう人多いんだね。 普通に平凡な生徒の様子をしていても、それぞれ工夫したり、割り切ったりしてなんとか乗り切る生徒も、きっと多いんだ。 昭和の小学生は、だけど、放課後はひたすら暗くなるまで外で遊んでた。 家の中でも、本読んで絵を描いて・・・ともかく精一杯遊んでた。 時間を持て余すほど、暇だったから、だから救われてたと思う。 今は、そういうのもないから・・・ 自分だけ、塾もスポ少も入らず遊ぼうと思っても、他に暇な子がいないんだものね。 しんどいはずだわ。 だからと言って、人嫌いではないのだけど、 自分と他人とは歩幅も早さも違うからねえ。 自分が得意な事では、周りが遅くて、自分はもっともっと早く先に走っていきたくなるし、 苦手な事では、全然ついていけなくて、自分全否定したくなる。 その繰り返しで疲弊してしまってたかな。 なんかさー。 やっぱり、できるだけ、その人の得意な事を伸ばせる教育って、許されないのかな? 私ら時代、子供めっちゃ多かったから、手も回らなかっただろうけど、 今は子供も当時の1/3位じゃない? もっと少ないかも。 だから・・・ もっと、一人一人に合った教育、できればいいのにな。 同じじゃなくてもいい、これは苦手だけど、他に得意な事がある、だから、自分はこれでいいのだって。 生き辛さってのは、それだけじゃないだろうけど、でも、そこから始められたら、少し楽になる気がするけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.08 21:44:18
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