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2024.10.13
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カテゴリ:人生ケセラセラ
今日の空


車の窓から見た時、自然とアニメ「母をたずねて三千里」のオープニングの歌が頭に流れました。



思ったより似ていませんでしたが、久しぶりにこの曲を聴いてとても懐かしかった。

昭和中盤当時子どもの私には、イタリアという先進国からアルゼンチンという後進国に、
どうしてお母さんは出稼ぎに行かなくてはならないのだろうと、まずその設定が良くわからなかったです。

大人になって映画などを観てから知ったのですが、この物語の当時アルゼンチンは
>移住者の増大,大土地所有の普及,農牧業の発展,鉄道の発達, 外資 の 流入 などによって,19世紀末より経済的繁栄を続けた
という時代だったのですね・・・

ウィキに寄れば、
「アルゼンチンのパラドックス」
20世紀はじめに加速度的な経済発展を遂げながら、その後の凋落もまた加速度的であり、先進国(ただし農業・畜産業国)から発展途上国に転落した唯一の国となった

アルゼンチンは大恐慌(1929年に始まり、1930年代後半)まではきわめて安定的かつ堅実な国家だったが、恐慌が起こってからは最も不安定な国に数えられるようになった。1930年代以降、アルゼンチン経済の凋落には著しいものがあったにもかかわらず、1962年まではアルゼンチンの1人当たりのGDPが、かつての宗主国であるスペインは言うに及ばず、オーストラリア、イタリア、日本よりも高かった

1930年代から70年代まで各政権は「経済の自給自足」を達成するため、輸入代替を追求する戦略をとっていた。しかし、政府が「工業の発展」を推奨したことで資本は分散し、農業生産は劇的に減少

・・・どことなく、日本の高度成長とその後の失われた30年と少しダブる気もします。

数年前に、アルゼンチンの映画で、
ユダヤ系移民の子孫が、将来が見えないアルゼンチンを脱出し、ポーランドに移住したいと願う映画を観て、それから余計にアルゼンチンの歴史の不思議が気になっていましたが、
今度ちゃんとアルゼンチンの歴史の本でも読んでみようかな。
「僕と未来とブエノスアイレス」

アルゼンチンの映画ももっと観てみよう。


<めじろ奇譚>アルゼンチンとイタリアの関係

ヨーロッパの国々に広い土地を安く提供する代わりに、アルゼンチンで農業を行ってもらうという方法で移民を誘っていたそうです。独立後から20世紀中頃にかけて、内戦から逃れるため約300万人のイタリア人が移住し、その数は当時アルゼンチンに住んでいたスペイン人よりも約100万人多いものでした。

ちなみに、かの有名なアニメ「母をたずねて三千里」は、1882年のブエノス・アイレス(アルゼンチンの首都)に出稼ぎに行ったまま、音信不通になっている母アンナ・ロッシを尋ねるべく、主人公のマルコ・ロッシがイタリア・ジェノヴァからアルゼンチンへと渡る姿を描くストーリーです。


​​アルゼンチンへ移住!日常はこんなにも素敵!良くない点も解説

日系人を含むさまざまな人種が集まる移民の国ですが、治安は南米の中でも良く、日本人観光客の姿も見られます。
月5万円で生活できるほど物価が安いことや、買い物途中に気軽に話しかけてくるフレンドリーな人が多い・・・


こちらのサイトでは良いところと悪いところが紹介されていますが、
もし可能であれば旅行で行ってみたい国の一つです。





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最終更新日  2024.10.13 00:02:12
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