人に甘えられない、今の若い人
今時、親と同居してもトラブルの元だし、スープの冷めない距離が最適ということで、親の家の近くに親に家を建ててもらった友人は、結構多いです。家は自分で建てたとしても、土地は親の土地って場合はもっと多い。それってうらやましいけども、ごく普通の事と思ってます。我家ももし夫の会社が移転しなかったら、子どもが生まれてからは親の実家に同居してたと思うし、大きな負担となる、家の資金を自分で全部負担していたら、ごく普通の収入の家庭では、まず共稼ぎは必須。それでも家のローンと子の大学進学が重なれば、高校時代から塾代や受験料など、負担がとても重いです。でもそれって・・・本来そんなに大きな負担になってはならない事だと思うのです。普通に働いていたら、小さな家くらいは買える、子も進学が自由に選択できる、そんな社会を、単純に求めるのが、とってもまっとうな事だと思うのです。大昔の貴族と平民や奴隷の階級社会ではないのだから。平民も普通に生活していれば、衣食住に困らない、それが目的の国の政策だと思うんですよね。でも、時々見かけるのが、親に家を建ててもらうのを「甘えている」「自立していない」と批判する若い人の意見です。子供の頃から、「他人に迷惑を掛けてはいけない」と育てられてきた、今の若い人たち。私の場合、「若い人」に40代位の人も含まれているかもです。正直言って、昭和34年生まれの私の子供の頃は、「挨拶しなさい」「悪い事はしてはいけない」「嘘をついてはいけない、騙してはいけない」(でも、思いやりのウソってのは、良い場合もあるけどね、みたいな)とはよく言われたけど、「他人に迷惑をかけてはいけない」、という言われ方はあまりしてこなかったです。又、「よそは、よそ、うちはうち」この事もどうにもならない現実であり、(将来は変わるかもしれないけど、今は)不公平でも受け入れて暮らせよ、って事を幼い頃から受け入れるよう訓練されていた気もします。それに、ともかく周りの大人が近所の子供たちに関心大で、いつも声を掛けられ、お菓子をもらい、家へもってけと何かを預かったり、困った時はもし気が付いた大人が要れば、そこでも放っておかれずに、おせっかいを焼かれるのが当たり前だったしなあ。近所の大人にみつかると面倒なので、放っておいて欲しいと思ってたくらい。それが、今の義務教育では、先生も親も「全員に同じ経験をさせてやらないと、不公平だし、可哀そう」って感覚で、各家庭ではそれぞれ経験できる事が違うのだから、学校で同じ経験をさせてやらねば。。。と、学校の行事を思いっきり詰め込んできたように思う。平等にしてやろうとこっちは頑張ってるんだから、はみ出して迷惑をかけるなよ、全員足並み揃えて当たり前なんだ・・・という学校のプレッシャー。それが、不登校の引き金の一つのようにも感じます。昭年生まれの私の年代では、まるこちゃんの世界よりもっといろんな子、いろんな家庭があり、それなりに皆与えられた環境が違うんだな・・・と子どもながらにわかっていました。海外旅行に行く子も(ごくごくたまに)いれば、当時は自家用車もそんなに持っていない時代だったから、ドライブ経験がない子も居る、それが当たり前だった。学校でも一緒の行動についていけない子もいるから、周りの子が手伝ったり、そのうち面倒を見る係にされちゃって先生にもあてにされたりして、そのせいで次の授業に遅れてしまったり。一見冷たそうな美人なのに、そういう責任感や優しさのある級友の新しい面を見て、いまだにあの子は素敵な人だったと思い出したりするのです。大変ではあるけど、それも経験だし、助け合うのが当たり前、イヤなところ、コワイところがある子も、はじき出したりせず、なんとか当たり障りなく平和に過ごそうって思ってましたね。皆同じじゃなくて、この子にはこんな大きな欠点・・・ってか、付き合い辛さがあるけども、だからって全否定はせず、社会に受け入れるのが当たり前っていう。もちろん、完璧じゃあないし、小競り合いは毎日のようだったので、その中で自分はこう思うとか、腹が立ったとか、声を出すことも学んでいた。だけど、「人に迷惑をかけるな」と社会や親全体に言われて育ったら、迷惑をかける子は、「間違い」であり、「悪」になってしまいます。今、闇バイトに手を染めてしまった子達の報道を見ると、生活の為なんとかお金を稼がなくてはならない所まで追い詰められていたりみたいで、親や祖父母に甘えることをせず、自分でなんとかしなくちゃ、って気持ちを感じるのです。周りは、「お金のことなら相談してくれれば出すけたのに」「お金に困ってるとは、言ってなかったので、気づかなかった」とビックリしてしまうけど、多分子供の頃から、周りに迷惑を掛けたり、甘えたりすることを学べなかったんじゃあないかな?そんな気がしてしまいいます。