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自然堂~幕末史蹟訪問~

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2008年11月10日
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カテゴリ:鹿児島
水車跡1田上.jpg2008.10.12

水車跡       美尾崎公園内(田上1-12)

A B
 C D

A 水車館水路敷石

B 水車館機織場跡
   自安政至慶應約十年操業 是○我國器械紡織之始也
   島津齊彬公創設
   昭和十年十一月   建設者 岩元貞太郎
             史料蒐集者 岩元庸造
             史蹟證明者 山角善助
                謹刻者 市草牟田町 内野畩次郎石材店
C 池○ 山神
   正月吉日    安政五年

D 水神
   千 正月吉日  安政五年

田上水車館機織(はたおり)場跡
もともと水車館機織場は、現在の田上消防分遣隊の裏にありましたが、区画整理により、その史跡石碑はこの地に移設されました。第28代島津斉彬は、大阪から買い入れていた高価な帆布(はんぷ)を藩内で自給するため、長崎から外国製の紡績機械を購入し、田上村と永吉村に水車を利用した紡績工場を造りました。田上水車館は、安政4年(1857年)のころから生産を始め、慶応3年(1867年)、磯に洋式の紡績工場ができるまでの約10年間仕事を続けました。ここで織った製品は、大阪から買い入れていたものより約3割も安くついたといいます。田上水車館は、木造平屋の板張りの建物が二棟あって、一棟が原料置場、他の一棟が布を織る作業場でした。動力としては田上川の水を引き、作業場の外側の直経数メートルの水車で四台の機械を動かしていました。織工は、慶応元年(1865年)のころは約40人で、ほとんど男子でした。水車館の仕事は大変能率が上がり、藩内に織糸がなくなるほどであったといわれ、中村・郡元・田上の農家では綿花の栽培や糸つむぎの作業で大変忙しく、藩主斉彬も、たびたびここに立ち寄り、織工を激励しました。


水車跡2永吉.jpg2008.10.12

永吉水車館機織場

島津齊彬公創設 水車館機織場跡
 皇紀二千六百年記念 岩元庸造 建
 安政ノ頃水力ヲ用ヒ帆布綿絹布 等ヲ織ル是レ我國器械織ノ始也

島津第28代斉彬は、薩摩藩を東洋のバーミンガム、マンチェスターにしようと洋式工業に力を入れた。その一環として、永吉と田上に水車館を設け、水力利用の機械紡績をはじめた。ここ永吉の水車館は、石井手用水の水を利用して運転され、斉彬の手によって生産方法の改善や機会の改良が加えられた。操業は、1857年(安政4年)ごろから、日本最初の近代紡績工場が磯にできるまでの約10年間つづいた。


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最終更新日  2008年11月10日 13時40分39秒
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