僕の好きな両国

2006/01/29(日)19:22

隅田川沿い散歩。。。隅田川テラスにて葛飾北斎に出会う!

下町の風景(174)

隅田川沿いの遊歩道(本当は隅田川テラスといいます)にある芸術をもう一つ紹介しましょう。   葛飾北斎は、1760年(宝暦十年)9月23日、本所割下水に生まれ、幼名を時太郎と云った。その後浮世絵師として活躍するようになり、号を繰り返し変えました。 隅田川テラスには、葛飾北斎が「載斗」と号していた時の2作品が復刻されています。 雪中鴛鴦(せっちゅうおしどり) 「花鳥画伝」初編  葛飾北斎(載斗)画 本書は北斎晩年の作で、載斗という著名で上梓された。 隅田川に因み、水鳥の鴛鴦が仲睦まじく雪の積もる木々に身を寄せ合って暖をとる様を表している。 原画 (財)日本浮世絵博物館蔵 桜木文鳥(さくらぎぶんちょう) 「花鳥画伝」初編  葛飾北斎(載斗)画 本書は北斎晩年の作で、載斗という著名で上梓された。 隅田川は、墨提と称され昔より櫻の名所として名高かった。それに因み、文鳥たちが桜の木々で戯れるさまを表している。 原画 (財)日本浮世絵博物館蔵 今回は、号の話がでたのでわかる範囲で略歴と関連付けて紹介します。 【葛飾北斎 略年譜】 1760年   本所割下水に生まれた。幼名は時太郎。    *本所割下水は、現在の「北斎通り」。 1764年   幕府用達鏡師であった中島伊勢の養子となった。 1778年   十九歳にして勝川春章に師事し「春郎」と号す。黄表紙の挿絵や役者絵を描き、浮世絵師としての本格的修行に入った。   第1期 「春朗期-習作の時代」 20歳頃~/安永8年(1779)頃~ 1794年   「宗理」と号す。   第2期 「宗理期-宗理様式の展開」 36歳頃~/寛政6年(1794)頃~ 1799年   三囲稲荷の開帳に提灯と扁額を描く。 1804年   音羽護国寺の開帳で、120畳大の達磨半身像を描く。 1805年   「葛飾北斎」と号す。   第3期 「葛飾北斎期-読本挿絵への傾注」 46歳頃~/文化2年(1805)頃~ 1808年   亀沢町にて新宅を構え、柳橋河内屋半二郎の楼にて書画会を催す。 1810年   「戴斗」と号す。   第4期 「戴斗期-多彩な絵手本の時代」 51歳頃~/文化7年(1810)頃~ 1814年   絵手本「伝神開手 北斎漫画 初編」刊行。 1820年   「為一」と号す。   第5期 「為一期-錦絵の時代」 61歳頃~/文政3年(1820)頃~ 1831年   錦絵「富嶽三十六景」完結(1823年開版)。 1834年   「卍」と号す。絵手本「富嶽百景」を描きはじめる。   第6期 「画狂老人卍期-最晩年」 75歳頃~90歳/天保5年(1834)頃~嘉永2年(1849) 1849年   肉筆画「富士越龍図」「雨中の虎」を描く。   春頃、病床に臥す。   四月十八日、浅草聖天町遍照院境内の仮宅にて没する。   辞世の句「悲と魂でゆく気散じや夏の原」 * 主な出来事は、北斎ギャラリーMapを参照 * 号と年代の関係は、 東京国立博物館北斎展のHPから抜粋。 今回は、隅田川テラスの芸術ということで北斎をとりあげてみました。 この実物をみたいという方は、お時間のある時にでも隅田川テラスを訪れてみてはいかがでしょうか? 現在、バリアフリー工事中なので、2枚の絵を見る為には、ちょっと迂回しなければならないので、あらかじめお知らせしておきます。   では、また。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る