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カテゴリ:史跡
前回のブログでは「いわやみち」にある「岩室」に纏わる特殊信仰について触れましたが、御祭神である弁才天は音楽の神様でもあります。
今回は、江島杉山神社と音楽、そしてさらにその歴史を辿ってゆくことで新たな発見もありましたので紹介しようと思います。 五代将軍綱吉から関東総検校を任じられた杉山和一(すぎやまわいち)が祀られるここ江島杉山神社は江戸時代より「一つ目弁天」と呼ばれ、江戸の庶民から親しまれていたことが思い描けます。そして、今日の登場人物は、検校であり貴族・武士・僧侶などの音楽であった筝を芸術音楽へと発展させ、近代筝曲の道を開いたことにより庶民などたくさんの人々が弾くことができるようにした功績を持つ八橋検校(上永検校城談より改名)です。 江島杉山神社の参門の鳥居の袂に「在此境内 筝曲之祖八橋検校の碑」と書いた碑が建っています。ひっそりと、さりげなく。。。 そして、境内には「山田流筝曲協会」の碑があります。 ------------------------------------ 昭和九年六月十二日ハ八橋城秀検校ノ二百五十回忌ニ相當スルヲ以テ本協会主催ノ下ニ同年同月九日浄土宗大本山三縁山増上寺ニ於テ大法要ヲ厳修ス而シテ大正十二年九月一日ノ関東大震災ノ為メ破損セシ斯碑ヲ修理シ礎石ヲ新ニシ以テ検校ノ偉勲ヲ永遠ニ賛揚シ併セテ斯碑ヲ建設シタル先人ノ誠意ヲ後世ニ傳ヘントス 昭和十年六月十二日 山田流筝曲協会 ------------------------------------ ここで疑問が。 そもそも八橋検校とは? 八橋検校と山田流の関係は?! 八橋検校は、筝曲の演奏家であり、作曲家です。 慶長十九年(1614)、現在の福島県いわき市で生れたといわれています(諸説あるようです)。幼名を城秀といい、幼いころから目が不自由でしたが、三味線や筝の技法を学んで、演奏者としてその名を高めました。寛永16年(1639)に検校に任じらた当時は上永検校城談と名乗りましたが、後に、八橋と改めました。 八橋検校は、筝曲の改革を行ない、音楽面、詞章面とも筑紫筝の組歌(賢順十曲)とは大いに異なる新しい伴奏曲としての組歌「筝曲歌十三曲」を創始しました。音楽面での大きな改革は、陰音階を基調とした調弦法を編み出したことでした。詞章面でも組歌の文芸的芸術性を一層高めることに成功し、さらに器楽曲としての段物三曲「六段の調べ」、「八段の調べ」、「みだれ」を作曲したことによって、近世筝曲の礎を確立しこれが筝曲八橋流となりました。八橋検校が近代筝曲の道を開いたことにより、そこから育った弟子が上方で生田流を、江戸で山田流をたて、庶民の間に筝を普及させました。 山田流は、八橋検校の同門といわれる安村検校を通じて江戸に生れた筝曲の流派の一つでした。当時、八橋検校の同門であった安村検校が、江戸に生田流を広めるべく長谷富(はせとみ)検校を派遣しましたが、江戸に下って気長く普及の努力しても隆盛にならず、門人の町医者、山田松黒に後をゆずり京都に引き揚げてしまいました。山田松黒は、三田斗養一と言う天才児を発見して、之に奥儀を授け山田姓を名乗らせました。山田斗養一(やまだ とよいち 1757~1817)は、山田松黒の門弟として生田流を学び、天明年間に浄瑠璃風を取り入れ、語り物風の箏曲・山田流を開くに至りました。 なお、山田松黒は、名著「箏曲大意抄」(組唄の譜本)を著したことでも知られています。 さて、八橋検校の晩年ですが、筝曲八橋流を確立したのち、寛文三年(1663)頃から京都に移住したと云われています。近世筝曲の普及と伝承に貢献する門弟を数多く育てましたが、貞亨二年(1685)六月十二日、多くの門弟達に見守られ惜しまれながら、静かにその生涯の幕を閉じました。享年七十二歳。 八橋検校は、京都黒谷の金戒光明寺(くろだに こんかいこうみょうじ)の塔頭(たっちゅう)常光院に葬られ、『鏡覚院殿円応順心居士』と号しました。その後、門弟達がその遺徳を偲び、参詣者らに琴を象った米粉の焼き菓子を振る舞ったとされ、歿後4年の元禄2年(1689)黒谷参道の聖護院の森の茶店で、琴の形に似せた干菓子を、「八ツ橋」と名付けて発売するようになりました。これが「八ツ橋」の始まりといわれています。さらに、堅焼き八ッ橋を焼く前の蒸した状態のものに餡をくるんで出したところ、好評を得たことから、生八ッ橋が誕生したといわれています。 今では、京土産の定番になっていますね。 僕も修学旅行で京都を訪れた際に、お土産として購入した覚えがあります。 白米粉に砂糖を入れ、こねて蒸した後に、ニッキなどを加えて薄くのばし焼く、という素朴なお菓子ですが、はじめて食べたときはインパクトがありました。はじめて訪れた京都の味の記憶として舌の奥にいまでもあのニッキの味が蘇ってきます。 【風まかせ取材後記】 江島杉山神社の取材から始まり、筝曲の歴史をひも解き、そして気がついたら懐かしい京土産の「八ツ橋」にいきつくなんていう、落ちがついて、時間をかけて調査した甲斐がありました。あの甘い焼き菓子が食べたくなりました。生タイプもいいな。 バーチャルで我慢するか。。。 聖護院八ツ橋 やっぱりうまそ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 12, 2006 08:09:23 PM
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