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カテゴリ:史跡
柳橋から浅草橋まで散策し、たどり着いたのが浅草橋のたもとにある碑「浅草見附跡」です。
江戸幕府は、主要交通路の重要な拠点に櫓、橋、門などを築くことで江戸城の警護をしていました。この地は、奥州・日光街道(現在の江戸通り)が通ることから主要な拠点として位置づけられ、寛永13年(1636)、神田川にかかる橋の江戸城側に門が設けられました。この街道は浅草観音への道筋にあたることから浅草御門と呼ばれ、また警護人が配置されたことから浅草見附門と呼ばれました。 浅草橋は、浅草御門前にあったことから、当時浅草御門橋と呼ばれていましたが、後に浅草橋となりました。 神田川は江戸城の外堀を形成していることから浅草御門のほかに筋違橋門、小石川門、牛込門、市ヶ谷門、四谷門、赤坂門、虎ノ門等36ケ所の見附があり江戸城の警護をしていました。 現在の浅草橋(北側)。 街で、こんなポスターを見かけました。 浅草橋周辺のイベントのお知らせでした。 屋形船に乗ったりして楽しめるようなイベントもあるらしいので、興味がある方は是非、いらしてみてはいかがでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 2, 2006 03:07:08 PM
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