狂躁的非日常と日常

2011/11/02(水)08:31

最近こんなんしか読んでないなー。山形石雄 『戦う司書と雷の愚者』

小説関係(241)

なんか人間として中途半端になってきている気がして反省することしきりなんですが、基本的には活字愛好家なので本を読むのは好きなんですが、気分的な問題としてあんまし重いものが読めない。重いもの=長いもの&内容がヘビーなやつなんですが、とりあえず2時間くらいつぶれてストレスがたまらない読み物ってかんじで戦う司書と雷の愚者とかを読んでしまっていたりします。って別に悪いわけではなくて読むものというのは時間軸と空間軸に影響されるのでライトノベル系を読むには読むなりの理由があるのでしょう。けど「とりあえず2時間くらいつぶれてストレスがたまらない読み物」ってキオスクで売っている西村京太郎や内田康夫の小説みたいね。もともと文庫という概念の発祥は大英帝国の産業革命の影響やったと聞いてます。産業革命によって全国に鉄道網を敷いた大英帝国では電車という移動手段がポピュラーになったわけです。で、その電車に乗るときにヒマをつぶせるように販売されたのが文庫というか「ペーパーバック」の発祥です。 基本は1~2時間で読みきれて、読みやすくて、ストレスがたまらなくて、読んだ後にすぐに忘れる。お小遣いで買えるくらいの価格帯&簡易包装で販売されたパーペーバックは、ジャーナリズムの隆盛と共に大衆文学を作っていくわけです。 そんなこんなで戦う司書と雷の愚者は去年デビューした山形石雄という方が書かれた作品です。ちなみに2作目ですのでこれを読む前には戦う司書と恋する爆弾を読むべきです。まあ、別にすごく読め!ってわけではありませんが…。 人間が死ぬとその人の記憶や行いが本として保存される世界。それを管理しているのが武装司書という職業のかたがた。その本をめぐって武装司書の「ハミュッツ=メセタ」がへんな狂信的宗教団体とかと戦っていくというお話です。 なんかその本は死んだ後どこかの鉱山で発掘されるらしくて、その本に触ったりするとその人の記憶や行いが見れるってわけです。で、その本の記憶と現実をクロスさせてお話を作るのが面白いねってかんじです。 作品としてはちゃんと読めるのでそういった意味ではお勧めです。が、まあなんで「集英社スーパーダッシュ文庫」なんでしょうねぇ。なにスーパーにダッシュしているんだか。

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