031709 ランダム
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DAY DREAMING

DAY DREAMING

大学。

今、ぼくは大学に在籍している。なので、「学校」には小学校から数えてトータル15年くらい通ってることになる。予備校時代も含めると+2年だが。それにしても長いな~。よく15年ももったなと思う。絶対どこかで学校とおさらばしてもいいくらいの長い期間なのに、これは僕が、前世に学校の怪物に因縁をつけられて、「来世は、15年間かかさず学校に通わせてやる~。がおー。」と呪われたせいに違いない。

それでまあ、こりもせず今大学に通っているのだが、やっぱり学校に通っていて得るものはたくさんある。学校という場所でしか経験できなかったり、学べないこともたくさんある。そして、それらの経験っていうのは、小学校や高校ではきっとできなかったことなんだろうと思う。小学校なら小学生の、中学生なら中学校での、その年齢そのときにしか感じられないものってあるはずで、大学のこの自由な雰囲気の中で経験することの大事さってたしかにある。
もちろん大学生の本分は勉強なので、大いに学ぶこともひとつの大事な経験なのだが、自分が「なんで大学に来たんだろう」って考えたときに、それだけじゃなかったことは確かだと思う。

最近ぼくのまわりで、大学をやめたり、休学したりする知り合いがちらほらでてきた。べつに退学が悪いとはまったく思わないし、それぞれの信念があるならそれは人がとやかく言う問題ではない。で、彼らにやめた理由を聞くと、まずほとんど全員が「つまらないから」という理由でやめたという。似たような理由で「飽きた」といってやめた人もいた。すごい理由だなと思いながらも同時に、大学とはそういう所なのかもしれないとも思った。

ある人にとってはとても有意義なことでも、ほかのある人にとって見たら、まるでくだらないことになる場合がある。もしかしたら、日常ってそういうことだらけの世界なのかもわからない。僕はビールが好きなんだけど、もしかすると、僕が何気なく誰かに注いだビール一杯がその誰かにとってはものすごく嫌な経験を思い出させてしまうことで、その人は傷つき、僕とその人の間に溝ができてしまうことだってある。僕にとって、このおいしい一杯が、違う人にとって見たらとても苦く感じること。でも、それは人がみんな自分の感覚や感性で物事を見ている以上、ある意味仕方のないことなのだろう。大学だってそうだ。みんなそれぞれの理由でこの大学に来たのである。本当は第一志望じゃなかったとしても、実際にこの大学に来たのだから何らかの背負っているものはあるはず。それでも彼らは大学をやめたのだ。苦かったのか、それともなんの味も感じなかったのかはわからない。この大学に入って本当に良かったと感じている人にとって見たら、なんて浅はかな理由でやめるんだと思うかもしれないが、彼らはこの大学を自分の舌でたしかめた結果やめたのだ。もしかしたら、本当に浅はかな考えなのかもしれない。だけど、彼らにとってみたらただの間延びした生活にしかなりえない大学に、きっぱりとおさらばできたことの意味のほうが大きいわけで、それはとてもポジティブなことだと思う。
 
大学って、開放的というか学生にとってはあまりに自由すぎて、かえって行き場所を見失ったりする。目標だって、そのときの風向き一つでがらっと変わったりする。それに、しっかりとしたビジョンを常に保ち続けることの難しさは、たぶん誰でも思うことなんだろう。でも、そういう意識を常に持っていることに損はないと思うし、そう思っていることで自分に関わるものを自分の責任として捉えるようになっていくのだと思う。
大学に来る意味の一つにこういうこともあるのかなって思う今日この頃です。

だからなんなんだといわれると困りますが、つまりそういうことです。


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