刻々是雑感

2007/05/22(火)01:20

飛鳥 石を訪ねる旅

紀行(51)

5月11日(金)23:50新宿西口発のバスで出発。 翌12日(土)6:30京都駅着、マックで朝食。 近鉄京都線の橿原神宮前駅行きの直通急行電車(7:16京都駅発)に乗り、8:26橿原神宮前駅着。 駅前でレンタサイクルを借りる。変速機なし(!)のママチャリしか残っておらず、起伏の多い飛鳥路の坂道を上るのに苦労する。(写真左) 途中、柿本人麻呂の詠んだ歌で知られる「雷丘」に立ち寄りながら、飛鳥資料館のキトラ古墳「玄武」特別公開展へ。開館間もない時間にも関わらず、既に75分待ち。前日から公開が始まっており、週末のこの日が事実上の“公開初日”。3~4時間並ぶことも覚悟していただけに、これぐらいならば「キトラだけ見て東京に帰る」事態は避けられそう。(写真右) 深夜バスに揺られた浅い眠りから覚め、長い列に並ぶのはちょっときつかった(実は前日も長い列に並んでいたのだ…)が、念願の玄武にご対面。 想像していたよりも小さく、両手の平で隠れてしまいそうなほど。 また、照明のせいかもしれないが色合いも非常に薄く、今にも消えてしまいそうなほど、はかない印象を受けた。 「めんどや」さんで柿の葉寿司ににゅうめん+わらび餅のランチ。(写真左) 板葺宮跡(日本史の教科書等で大化の改新の項で紹介される、蘇我入鹿が首をはねられているあの絵の舞台はここ)。後方は蘇我蝦夷・入鹿親子の拠点であった甘樫丘。天皇家を見下ろし、軍事的に支配する位置に自ら一族の居城を築いた。まさに“出る杭は打たれる”。 実際に現地に足を運び、位置関係をアタマだけではなく身体感覚で実感。歴史の動きが現実に目の前で想像できる。 「酒船石」に「亀形石造物」。 「石舞台遺跡」。“蘇我憎し”と徹底的に破壊された古墳の址である。(写真左) 村境の結界を示す?「マラ石」。学生時代に所属していたサークルでの民俗調査を思い出す。(写真右) 蘇我氏そのものと言っても良い、聖徳太子生誕の地とされる橘寺にある「二面石」(写真左)。 田んぼのあぜ道にいきなり現れる「亀石」。遠目には、まるで民家の庭石のような印象(写真右)。 「鬼の俎」と「鬼の雪隠」。元々は古墳の石室が破壊(盗掘なんてものではない)されたものである。 「猿石」四態。 そろそろ日が傾いてきた。 でも、午前中に玄武を見終えることが出来たこともあり、こんなに方々回れるとは思っていなかった。 小回りのきく自転車で回っていることだけでなく、小学生の頃からずっと見たかった遺跡・旧跡が次々と目の前に現れ、ちょっとした興奮状態(^^)で疲れを感じる間もなく、次は高松塚古墳へ。

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