【輪島朝市名品『 輪島塗』】ー女性蒔絵師の若き死ー
朝市に散った若き輪島塗職人石川県の『 輪島塗』は艶ある漆器に和柄のデザインが描かれた、皇室御用達にも選ばれる、能登半島輪島朝市でも人気の品です。輪島塗のお椀や皿は、一品2万円から2百万円前後の高級品です。扇や硯箱にも輪島塗で和柄の絵柄が描かれ、その高貴な品々は、目を見張る美しさ。しかしこの度の震災で輪島朝市は一晩中燃え続け、能登半島地震でも火災の被害が大規模な一帯となりました。その中でも才能ある蒔絵師(まきえし)がまだ三十代で亡くなりました。彼女の遺骨は最近になって発見され、DNA 鑑定で確認されました。美しい輪島塗に心惹かれ亡くなったのは、兵庫県三田市出身の島田怜奈さん(36)。能登半島輪島朝市に工房を構えていましたが、朝市の大火に巻き込まれ、2ヶ月間近く行方不明になっていました。怜奈さんは小学校の時から絵を描くのが大好き。「なんか、少女漫画みたいな絵を描いていたなあ……」父、富夫さんはそう振り返ります。高校時代は美術科に進み、クラフトデザインと出会い、すぐに夢中になりました。漆の器に和風の模様を美しく描く。秋田美術工芸短大を経て、20歳で石川県立輪島漆芸研修所の蒔絵科に。卒業後は師匠に弟子入り、30歳で独立し、自ら輪島朝市に工房を構えるようになりました。漆の木に傷をつけると、白い乳白色の樹液が滲み出しますが、やがて固まり、独自の黒い艶を生みだします。輪島漆工芸は、そんな漆で作られた皿やお椀に金箔で美しく絵柄を描いていく職人芸で、室町時代から始まったと言われています。元旦午後以降ラインの既読が付かず怜奈さんは元旦にも仕事に追われていましたが、お昼頃、三田の実家に漆工芸で作られた食器におせちを詰めて送って来ました。しかし午後4時10分、地震が発生。三田の家族からは、怜奈さん宛に何度もラインが送られましたが、既読がつくことはありませんでした。ラインの返信はいつも遅かったという怜奈さん。そして輪島朝市は猛火の海となりました。ご両親は、逃げていると信じました。また、意識不明になって、どこか病院に入っているのでは、とも思いました。しかし、ご両親やお姉さんの祈りは、2月6日、怜奈さんの遺骨が確認され、全て打ち砕かれました。輪島朝市大火の原因なぜ朝市は猛火となったのでしょうか。最近の調査でやっと判明したことだそうですが、一番酷く焼け焦げた建物、そこには火を扱う器具がありませんでした。しかし午後4時10分の激しい横揺れで、電線がショートし合ったため、そこから発火し、火災となったたらしい、というのです。輪島朝市は、数々の名品店が200軒以上軒を連ねていましたが、火はどんどん燃え広がって行きました。結果、東京ドームほどの朝市はすっかり焼け落ちてしまいました。娘はかけがえのない存在2月25日、怜奈さんの遺影と、数々の美しい輪島塗の遺品を前に、同業者や学校時代の友人が集まり、お別れ会が開かれました。母、裕子さんは「古い家に住んでいるんだから、耐震対策、ちゃんとしときなよ」 との娘との会話を思い出し「いつまでも、私の可愛い娘です。いないとは思っていません」 と声を絞り出し、涙を拭いました。父、富夫さんは「どんなに遠くに娘が住んでいても、水や空気のような存在。かけがえのない存在なんです」 と語りました。若くして亡くなった怜奈さん。しかし、その姿は消えても、怜奈さんはご遺族の胸で生きています。怜奈さんの心は、遺作となった素晴らしい輪島塗の数々に生きています。同業者の方々は、自らの職人魂に、怜奈さんの心をも忘れることはないでしょう。島田怜奈さんのご冥福を、心より、深くお祈り致します。参照記事ー神戸新聞 NEXT