【皆さん早く高台に避難して下さい】ー最後まで職務を果たした13年前の声ー
(慰霊碑は人々が生きた証)(陸前高田市役所111名殉職者慰霊碑)13年前の2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。地震の犠牲者は、2万2222人。中には未だに行方不明者の人々もおられます。岩手県陸前高田市には、犠牲者の人々、遺族の人々のために追悼施設が設置されました。当時、37歳だった市役所職員の佐藤ミホさんは、必死に 「皆さん、安全な高台に早く避難して下さい」 とスピーカーで市民の人々に呼びかけていました。ミホさんは未だに行方不明です。今年、ご両親は、彼女の息子さんが大学合格したことを、追悼施設で告げミホさんの名前が刻まれた慰霊碑に桜の花を添え、手を合わせました。「娘はまだ見つかりませんが、見守っていて欲しいです」 父親の佐藤利一さんはこう語りました。私は陸前高田市が、津波の恐ろしい渦の海に取り囲まれる中、彼女がスピーカーでいつまでも 「皆さん、避難して下さい」 と叫び続ける声を思い出します。その光景と声は録画されていたからです。波に取り巻かれた市役所で、避難を呼びかける職員の女性……ご両親は、ああ、ミホの声だ。真面目に最後まで残って必死に避難を呼びかける声……津波が引いた後、高台の佐藤さん方で、母親の君子さんが、ミホさんの部屋を整理しておられました。「あの子がいつでも帰って来れるようにと思いましてね」そこにはミホさんの小さい時からの愛らしい写真、成人してからの美しい写真が、たくさん飾られていました。宮城県出身の羽生結弦選手は、プロ転向後、毎年追悼のアイスショーを開催してきました。どれだけの人々が、13年間、悲しみに苛まれて来たことでしょう。2万2222人もの犠牲者の方々、どうぞ安らかにお眠り下さいと心よりお祈り申し上げます。(参照記事ーNHK NEWS)