走る社長のブログ「開設から18年、あの時の夢は叶えたか?」

2007/09/23(日)20:29

彼岸は父の思い出

未来へ(129)

トシさん、メールありがとうございます。 ブログ書いてて良かったと思える瞬間です。 さて、お彼岸タイトル この日記の愛読者(笑)さんにとっては、もう何回も書いたこのネタ(スイマセン) 9月に入って親父の体力は弱っていったのがわかった 「秋はさびしいな」と、親父らしくない言葉 家族との別れを予感したのだろうか? 1995年9月23日 昼過ぎ 昭和13年生まれの父は糖尿病、それから合併症で腎不全~人工透析 父は両親を知らない(3歳までに亡くしたらしい) 叔母に育ててもらい何回も転職し、夢を叶えた男 晩年は「俺が死んだら喜ぶ奴がたくさんおる」 「それが悔しいから、まだ死ねん」 学生だった私にはわからなかったその言葉。 毎年の彼岸墓参りは絶対欠かさなかった親父。 だけど、その日は調子が違った 気力で起きている感じなのだ 「墓参りに連れて行け!!」 私と母に言う親父 「お父さん今日は無理よ、まだ暑いし歩けんよ、辞めとこう」と家族 親父「アカン、連れて行ってくれ。クルマから拝むだけでもええから」 譲らない父を乗せて、神戸の春日墓地に向かう 到着を知らせるも、意識がはっきりしない父 連れてきたことを後悔する私たち。。 私たちが墓掃除して、お供え終わったことを車内で待つ親父に伝える 親父「ほうか、ありがとう」 一心に手を合わせる親父 気が済んだのか「ありがとう」とポツリ 私たち家族が異変に思ったのは帰宅したとき 親父「ココは明舞団地の家か?」 家族「お父さん、朝霧の家やで」 このとき意識は混濁してたのですね 翌日の1995年9月24日(当時27歳の私)に 親父が初めて弱音を吐いた いや、親父が初めて心の言葉を発したのかもしれない 親父「いままで俺は必死で頑張った」 「でも、もうアカン。スマン。」 夕方 親父は自宅で母の膝の上で57年間の人生を終えた 明日の墓参りで、僕たちは家族で手を合わします 会えなかった孫の写真は、このブログにあります 半身不随だったけど、抱っこしてあげて欲しかった 多分、顔を崩して笑ってくれただろうな。。 父ちゃん 「みんな元気だよ、ありがとう」 「俺はいろんな人に支えられて生きているよ」 「こっちで(この世で)まっとうしたら、行くからね」 明日、墓参りに家族で行きます。

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