武帝
武帝 始皇帝をこえた皇帝 世界史リブレット人 / 冨田健之 【全集・双書】 前回の冒頓単于からの流れを期待しして読み始めたこの本だが、皇帝専制をテーマとして書かれているため、そこら辺は割愛されていて残念。 だが、崩御寸前の武帝の枕頭に三人の重臣が集まったという歴史小説家と見間違うような強いツカミから始まっていて、興味をそそらされてしまう。 ここから書き起こしたのは秦皇漢武という、始皇帝と武帝を似たような人物だという伝統的な分析がある。例えば、皇太子への正常な皇位継承に失敗し、幼君が跡をついだことである。秦はすぐに亡んだが、漢はその後も長期に渡って続いたそこの違いが何なのかを縦糸の一つとして論が展開していく。 まず、武帝は、呉楚七国の乱によって異姓はおろか同じ劉氏の王国も目ぼしいところは亡んだいう恵まれた状況で、即位したという、定説に意を唱える。大幅に増えた直轄地を統治するには人材が不足していたと。 即位の経緯から最初の政治改革が外戚トウ太后によって失敗し、トウ一族を排除するくだりは定説通りの記述。 さて、第二章では、武帝が在位中、丞相が相次いで変わり、そのほとんどが死を賜っている。この異常事態について、公孫弘という在任中に死んだ丞相に注目して事態を解き明かしている。公孫弘は大臣の合議を反故にしてでも、武帝の意向に従ったため、曲学阿世と謗られることも多かった。しかし筆者は皇帝の権力を強大化するためにあえてとった態度だとしている。武帝が求めた丞相像とは、自分のビジョンを持つ者ではなく、皇帝の意向を各専門官僚に伝えることを重視するタイプだったと筆者は分析している。 飛躍的に増えた国事に対して皇帝以外誰が政策を立案するようになったかと言えば、側近のブレーン集団で、武帝のデザイン通りに再編された官僚機構と両輪のように機能し、巨大化した漢を運営することに成功した。 しかしながら、皇太子が呪いをかけたと疑いをかけ死に追いやった後、自身も死亡。しかし、構造改革のかいあって漢は長期に渡り存続したのであった。 呉楚七国の乱以前、以後の地図や官職表等、図版も充実していて、武帝の皇帝専制について詳しく知りたいという方にはうってつけの一冊となっているが、筆者も認めている通り、匈奴との抗争や封禅については割愛されているのでその点は御注意を。