カテゴリ:観ました^^*☆
盂蘭盆 最終日。 私は通院日。 夫は定休。 下の少年は、今日から3日塾休(但しネットで授業あり)。 受診終了時分に待ち合わせて、私の実家へ。 上の少年の話をしつつ、京都では五山送り火の日だと話題にのぼる。 父の墓参を済ませ、3日間を私の実家で過ごすという下の少年を残して帰宅し、 いそいそとNHKスペシャルにチャンネルを合わせる。 五山送り火のそれぞれの在りよう、準備、点火。 そして鎮火まで。 それぞれに違う。 準備に駆け回っていたひとびとの想い。 送り火の点火を待ち望み、手を合わせるひとびとのそれぞれの祈り。 送り火が消えた後の炭の行方。 五山送り火、それぞれの意味を識ってはいても、 これまで単に平面的な知識に過ぎなかったことを思い知らされる。 学生時代、京都に在った夫も、盂蘭盆には帰省していたため、 実際に観たことはなかったそうで、喰い入るように見つめていた。 生放送での美しさのなか、 今、上の少年がどの辺りにいるだろうか、と雑念もいっぱい。 また、宗教学者の御方のやさしい言の葉が場面場面で胸にしみる。 なかでも僅か30分で消え行く大文字を背に、 人生50年から人生80年となり、 ひとは、懸命に生きて死ぬ、だけであった50年から、 老いと病、というものを抱え込まねばならなくなった今、 盂蘭盆の時期ぐらいは、きちんと己れの生と向き合おう、 というようなことや この世は無常ではあるけれど、 京都のこの五山の山々の美しくやさしいこと。 この送り火に送られて浄土へ還る。 日本の無常は、明るくてやさしいものである、 というようにおっしゃられたことがこころに残る。 「 日本の無常は、明るくやさしい 」とは、 おそらく、京都の五山送り火のように、送る側の心根次第、 送る側に支えられている、というようなことなのだと感じた。 最後は原爆忌や終戦の日にも触れられ、8月は、もの想う月だとも。 五山送り火、全ての火を「多元」「生中継」の臨場感とともに、 嵯峨野の広沢の池の「灯篭流し」も加えて、溜息がこぼれるほど美しかった。 毎度おなじみ? 盆嫁バージョン を無事、クリアした夜。 家に居ながら、盂蘭盆の送り火を焚かせていただき、 そのやさしい五山に抱かれた上の少年を想い、亡き父を想い、、、、 ひととき、良い時空をいただいた、そんな感じ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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