今日も元気で

2009/09/05(土)11:19

「 こころ しんさい 」

老い。(10)

        近隣に在る、義父と同い年(90歳)の義父の従妹が、         独りで散歩していて転び、脚を骨折して動けなくなっているところを         ご近所の御方に発見され、2ヶ月近く入院していたのだったが、         この度、退院の日を迎え、そのまま施設に「 入れられる 」ことになる。         認知症が酷くなってきており、ご同居のお嫁さんが要請された由であった。         骨折入院されるまで、義母も毎日のように訪問を受け、食事をねだられたり、         何時間も同じ昔話につき合わされ、閉口していたものだったけれど。         とはいえ、外からは、記憶障碍については、さほど深刻なものでないようにみえ、         ただ生来の好奇心の旺盛さ、我侭さ、頑固さが         酷くなっている程度のようにみえていた。            実際には、お風呂にどうしても入ろうとしなかったり、            食べても食べても飽き足らず、            「 嫁が食べさせてくれない 」と 近隣に食事をねだりに行ったり、            時折 お漏らしがあったり、ということで、            お嫁さんは大変ご苦労されていた由。         こればっかりは、一緒に暮らしていないと、その大変さの程度ははかれない。         以下は たまたま 同じ病院へ股関節の手術で入院していた、         うちの本家のお嫁さんが観た話である。                担当医からの説明で、この整形外科病院を退院したその足で         施設へ「 入所させられる 」ことを知った義父の従妹は、憤激し、暴れ、号泣し、         嫁が非道だと、病棟中を車椅子で叫び回る。         それを泣きながら 息子さんとお嫁さんが追い掛け。         縋って泣くお嫁さんの手を振りほどきながら、         憤怒の形相で 見送りに来ていた人々に指を突き付け、           「 あんたらも! 」         同じ町の見知った人々を見つけては、ひとりひとりを指差し、           「 あんたも。 あんたも。 それから あんたも!! 」           「 こころ しんさい。             長生きするなら こころ しんさい。             自分が建てた、その自分の家を追い出される、こんな目に合わんよう。             身体を大事にし、ことに足腰には気をつけて、             若いもんに 追い出されんようにすることじゃ。             わしを嗤うとる あんたらも、行く先は同じことじゃ! 」          呪いのような言の葉に、皆 俯くことしかできなかった と。          これを聞かされた義母も、私も。          また、同様に紡ぐ言の葉もなく、ただ胸が痛い。             60余年、この地で ずっとこの義父の従妹の傍に在った、             義母の胸の内は如何ばかりのことか。          しばし黙っていた義母は、ぽつんと私に、          過日、入所したばかりの長義兄嫁のおかあさまのことを 誉め称える。             あのひとも、入所を頑として承知しなかったけれど、             先生から説得されたら、納得して、後は黙っておられた、と。             少なくとも、他人さまに醜態は晒さなかった、             他人さまのこころを乱すようなことはされなかった、と。          そう言う義母は、他人事ではないのだと、少しは感じただろうか。          私は 義父の介護以来、私自身のことをずっと考えて、いる――。             或る程度の年齢まで生き長らえることができたなら、             とっとと 自分で納得できる施設を選んで入所したい、と切望しているが、             そのためには、とんでもないお金が必要になるであろうし、             自宅と少年たちへの仕送りで全て吐き出している今、             定年までの僅かな年数で、             いったぃどうやって自分で得ることができようか。          自分が自分でなくなる――。          自分ではどうすることもできず、          脳の霧が晴れたときに、それまでの記憶の欠落に激しく狼狽し、          不安で悲しく、苦しく、嘆きのなかで、また霧が訪れ。          この悲劇は 義父のときに 嫌という程思い知らされたものであったが、          つくづく なんと哀しい、惨い病であることか。             しかし、早くから自分に合う薬に出逢えば、随分と進行が違うようになって来た。          近い将来、医療で克服できるようになるのではないか。。。          是非是非 克服できるものであって欲しいと こころから願う。               老いて 目が濁り、見えにくくなるのは。               耳が聴こえにくくなるのは。               もう 若い世代に バトンを渡し、世情から離れなさい、               ゆっくりゆったり過ごしなさい、との               神さまからのプレゼントなのだと。               そう、思うように努めて来たけれど。                  過去の良き想い出のなかに脳が遊び、                  世事に惑わされず、ゆっくりゆったり過ごすことも、                  また善哉ではあるけれど。                  私自身が私自身でなくなり、                  自分のことも自分でできなくなってしまって、                  私の近しい大切なひとびとが そんな私の存在に                  思い悩むようになってしまっては――                           辛過ぎる、惨過ぎる。                            時は 無常に流れていくけど、                              お金がないと、歳も取れませんんんんんヽ(`Д´)ノ  

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