今日も元気で

2009/09/28(月)17:52

「 公共の利益 」 と 「 個人の権利 」 と。

ニュース(142)

         自宅を新築して僅か3年目に、「 国道建設 」との由にて、          我が家に立ち退きの申し入れがあり、          その後10余年、「 国道建設 」をするのかしないのか、          宙ぶらりんのまま、落ち着かない日々を送らされている者として、          ダム問題はひとごとでなく、胸が痛い。          それぞれのダム建設をめぐっての「 民主党 」の「 NO 」には、            ダムが本当に必要なのか、否かという点、            今後の建設に掛かる費用の点、完成後の維持費用の点、            環境破壊、という点などから、          中止するにしても巨額な費用が掛かるということを差し引いても尚、          基本的に大賛成なのであるが、          ダム建設着手から 63年 経過している八ッ場ダム。          この63年という歳月は どう考えても長く重た過ぎて。          この長い歳月で、立ち退き対象となった家庭の殆どが          公共の利益の御旗のもとに、自宅を捨て(させられ)、          代々のお墓を捨て(させられ)、隣人と別れ(させられ)、          結果、ふるさと そのものを失くした住民側の言い分は          至極もっともなことであり、          なんとか双方の納得できる良い解決策はないのか、と 思う。          そして、何より。          今日まで、それぞれのダム建設が順調に進まず、          廃止の憂き目をみることになった1番最初の「 ダム建設 」決定そのものに          問題はなかったのか、と思う。  ―― 今更の繰言でしかないが。          ひとが 社会に生きる以上、公共の利益、は最も優先されるべきもので、          それは憲法に謳われている通りだと思う。          けれども その「 公共の利益 」を優先させるがために、          対象となる個々人のこれまでの生活が奪われるのであるから、          「 公共 」は、最大限の努力をして、          個々人のこれから、の生活を補償しなくてはならない。          但し、個々人のこれまで、の生活を喪うことへの精神的な苦痛への補償は、          算定不能であるため、ただ深謝の誠を尽くさねばならないのだ、と思う。          また 憲法でその優先性を謳われている「 公共の利益 」というものに、          とある特定の利権というものが、全く介在していなかった、と          断言できるものであるか否か。          本当に真っ当な 「 公共の利益 」であったのか、は、          巨額の血税が動かされるのであるから、常に吟味されねばなるまい。          安易にダム建設に走るのではなく、他の治水策に向けての          國や地方自治体の検討努力はどれだけのものであったのか も問われよう。                 思えば、小泉内閣が 『 骨太の方針 』を打ち出し、          ダム事業の総点検により、ダム建設実施計画調査開始後10年以上経過するも          事業の進捗のないダム事業を原則中止・休止とする決定を下したのである。          そこには 硬直状態の「 公共事業の見直し 」というなかに、          進捗しない理由から、これまでの進め方の反省やら工法の見直しやら、          「 公共の利益の正当性 」の見直しも含まれて来たのではないか、と          思われるし、そこに大きな意義も意味も在ったと思うのだが、          クリアできないまま 首相も替わり、政権交代まで迎え、          ここへ来て、鳩山内閣が集中砲火を浴びるのは、なんだか釈然としない。          改めてググって調べてみると、          ウィキペディアに 『 日本の長期化ダム事業 』 というページがあり、          ここに掲載されている 2008年現在の          ● 現在事業進捗中のダム  … 24基           ● 完成予定の目処が立っていない事業 … 14基          これら事業規模、投下された年数、投下された資本、人的資産、          中途半端にふるさとを喪ってしまわれた方々の想いに眩暈がする。          んでもこうして國中の視線が こうした硬直状態の大規模工事に集まり、          公に喧々諤々の議論になるだけでも          政権交代の意味も意義もあったのだ、と思いたい。                           そしてどうするか。  何処へ向かうか。                           問題山積。                           何処までも見渡す限りの茨の絨毯なのだけれど。         

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