2010/06/13(日)09:49
母の日に。
6日に 夫の運転で、やっと通院のための外出を
2ヶ月ぶりに果たしたものの、まだまだ不調であるので、
義母には、おそらくその頃には全快しているであろう「 父の日 」あたりに
亡き義父分と一緒に孝行させていただくとして(滝汗)、
実家の母へは、
母が3年前に 友人と北の大地へ旅行した折、
いたく富良野のラベンダーに感動していたので、
できれば自分で選んで届けたいと、
ぎりぎりまで悩んだ挙句、結局外出は無理だと諦め、
楽天のショップさんを利用して手配する。
無事、母の日 当日に届けられ、
母は喜んで、写メールを送って来てくれた。
実家の和な庭には合わないが、緑の指の母のことだから、
きっと室内の鉢植えで増やして楽しんでくれるだろう。
で、【 母の日 】 と聞けば。
即座に 娘 に舞い戻り、つひ、ぢぶんの母のことを思うのであるが、
よくよく 考えてみれば、この私も 【 母 】 なのであった(驚)。
少年たちが この地を離れ、4人家族4重生活も3年目を迎えれば、
つひつひ、【 母 】なる自覚も 希薄になってしまう(゚゜)\バキ☆のであるが。
実は、前日、夫に申し渡しておいたことがある。
「 くれぐれも、少年たちに、
『 母の日だから おかあさんにメールしなさい 』
などという、侘しい強制メールを絶対にしないで! 」
結果、それぞれに多忙であるらしい少年たちから、
【 母の日メール 】 が 来なくとも、
それが 彼らにとっての 現在の私の立ち位置なのであろうから。
それが、私の現実だと 受け止めようと。
既に、私はメールが来ないであろうと予想していたが、
きちんと、それを識りたかった、
或る意味、彼らを ――彼らの愛を
はかろうとした のかも知れぬ。
それで どんなに淋しい結果に終わっても、
いわば 私の自業自得であるのだから。
そして迎えた、母の日。
早朝に、予想外のメール着信音。
こ奴だけは、まるっきり忘れてるか、メールをくれるとしても、
翌日か2~3日後にくれるんぢゃないかと思っていた、
下の少年 からである
「 いつもお世話かけてます
世間じゃ母の日じゃけん、メール送ります(笑)。
早く体調良くなるといいね。
歳ですから、身体には気をつけてね 」
続いて 10時前に上の少年からの着信音。
「 母の日ですね
いつも感謝しています。
今年も元気でいられますように 」
そして、添付されていた
チューリップの画像の『 肩たたき券 』には
「 どんなにいつも忙しくても
青空に パッと輝く
チューリップのような 笑顔をありがとう 」