私:竹山道雄氏より13才下の会田雄次氏はビルマの収容所体験がある。
その体験記の「アーロン収容所」では痛烈なイギリス批判をしているね。
そして、最初、ビルマ人を温和な民族としているが、ショックなのは、日本兵の屍と動けなくなった戦病兵たちに数十人のビルマ人の女子供を交えた集団が日本兵を殺害して死体から金品を抜き取っていたのを見た体験を書いているね。
ビルマ人には諦めと忍従しかないとの会田氏の先入観は、ビルマ人集団の残虐性を目撃したことによって、覆される。
A氏:日本兵の死体から金歯を抜き取るというのはアメリカ兵の実話としてもジョン・ダワー著「容赦なき戦争」にも載っているね。
私:馬場氏はビルマ戦線の退役兵士たちの日英和解を書いている。
インパール作戦に参加経験のある平久保氏が1991年に激戦地のインド・コヒマに慰霊聖堂を作り、日英の戦争体験者が集まり、ミサを捧げたという。
そして集まった少数民族のナガ族の人々の前に、日本軍とイギリス軍の戦いの犠牲にしたことを詫びたという。
それに対して現地のインド人の司教は「あなた方の罪は赦されました」と宣言したという。
A氏:ビルまでは建国の父と言われるアウン・サンは、最初、日本軍とともにビルマからイギリス軍を追い出すが、1945年には逆に反日戦線の指導者として日本軍と戦うね。
こういう背景について無視しているのは確かに「ビルマの竪琴」の問題点かもね。
泰緬鉄道建設では、ビルマの民間人が労務者として徴用され多くの死者を出しながら、補償、謝罪、埋葬もきちんとされなかったね。
「ビルマの竪琴」では、日英は「埴生の宿」の歌で分かりあえるが、ビルマおよびビルマ人は和解の舞台背景として放置されたままであるとして馬場氏は厳しく批判しているね。
私:アウン・サン将軍の娘さんがノーベル平和賞をもらったアウン・サン・スー・チーさんだね。
今は軍事政権のために自宅軟禁状態になっているね。
A氏:この本はビルマを問題にしているが、中国の問題はどう扱っているの?
私:著者は、中国と日本の関係に侮辱と屈辱を克服して和解にいたる道はあるのかと疑問を呈しているね。
その一つに日中平和友好条約締結20周年を記念して製作された日中合作映画の話が出てくるね。
映画名は「チンパオ」といい、1999年公開したという。
日中戦争での日本兵と中国人の子供との交流が描かれているのだという。
日本兵にもいい人がいたことを描きかったためだという。
しかし、そのストーリーは中国政府担当者から何度も書き直しを命ぜられ、「いい日本兵が二人もいるはずがない。1名にせよ」「日本兵をもっと鬼のように描け」「虐殺の場面をもっと加えよ」と要求され撮影は困難を極めたという。
A氏:しかし、20周年記念だから上映はされたんだろう。
私:中国国内での上映許可はいまだに得られていないという。
日中共同制作では「人間の条件」「戦争と人間」「大地の子」などがあるが、いずれも中国では上映・放映はされていないという。

竹山道雄は「ビルマの竪琴」を構想するにあたって、最初は作品の舞台を「シナ」の戦場に設定し、そこで合唱による和解という筋立てを考えたがうまくいかず、断念したという。
日中には共通の歌がないというのが理由だそうだが、それだけではないかもしれない。
現に、中国のシナリオ作家は映画「ビルマの竪琴」をみたとき、色をなして「これは侵略軍の兵士の鎮魂の映画に過ぎないのではないか。侵略された側のことを考えないのだろうか!」と異を唱えたという。
A氏:竹山氏が「シナの竪琴」を書かなかったことは幸いだったのかもね。
私:馬場氏もそう言っているね。
ところでさっきの合作映画「チンパオ」の日本での公開の翌年、中国側主導の合作映画「鬼が来た!」が製作されたという。
A氏:和解の映画かね?
私:やはり、日本人は悪というパターンが中心だという。
戦後、60年、日本人は平和を守り、戦前の日本と違うと言っても、中国人から見ると、いつか軍国主義に豹変するか分からないという日本人のイメージを捨てきれないようだね。
それに対して、日本人から見た中国には迎合的な微笑の陰でどんな貪欲な野望を潜ませているかわからず、明哲保身のために相手を併呑することも厭わない大国のイメージが投影されていると馬場氏は言う。
明日は、ベトナム戦争のとき、アメリカの原子力空母の佐世保寄港をめぐってこれに賛成した竹山氏に対して、「ビルマの竪琴」で竹山ファンになった人々から「裏切られた」という騒動にふれよう。